迷い子よ。遙かなる時空をこえて、あなたがわたしを望むのならば。
 は一瞬で顔色を変える。
 迷い子。時空をこえて。それらのキーワードはひとつの推測を容易に結ばせる。(なんで……!) とっさに逆鱗の仕舞ってある胸元の着物を握りしめる。胸の中に荒れ狂った感情はまったく言葉にならず、答えるどころか絶句した。

(知ってるの、まさか……!?)

 それでも、何度目かの鈴の音が、ひときわ大きく鳴った。

 わかった、とどこかで誰かがつぶやいた。
 え? とが問い返したとき――


「きこえたよ、きみの声」


 の面前に、こつぜんと新しい人影。
 肩にかかる長さの髪、深い色の瞳。白い顔には人形めいた無表情。
 小柄で華奢な立ち姿は、と同じ年頃の少女のものだった。

「…………!」

 ぽかんと召喚主は口をあけた。
 くだんの少女はの驚きには頓着せず、やや眉根を寄せ、剣を使う神子の右手をふわりと両手でつつむ。

「……よくここまでがんばったね。たいへんだったろうに」

 少女の口ぶりのとおり、の利き手には、いくつものマメやタコのあとが残っている。現代の日本で平和に暮らす女子高生からすれば、尋常ではないほどに戦いを物語る手のひらだった。

 しかし、は少女がそれだけのことを意味して言ったのではないと直感的に悟った。 (やっぱり……) これはたぶん時空越えの事情も、逆鱗の力も、すべて知っている。なぜ。八葉の誰に打ち明けたこともないのに。

(打ち明けられなかったのに。誰にも……なにも、言えなかったのに)

 神子が硬直して棒立ちになる一方、これまで口を挟めなかった八葉がいつのまにか闖入者たる少女の周りをすばやく囲み、さりげなく退路を封じていた。

「……あなたは誰です!? 先輩から離れてください」
の呼びかけに応えた……? どういうことだ?」

 ろこつに不審な眼差しの譲と九郎を、「待って!」 とっさに手で制したのは朔だった。
 信じられない、と黒龍の神子はつぶやく。

「あなた……あなたからは清らかな力を感じるわ。決して悪しきものじゃない。それどころか、八葉や私よりも力強くまぶしい力……。どうしてかしら、いつも私がから感じるような力よ…」

 朔の言に少しも驚かず、「うん」 と白龍が同意する。
 澄んだ瞳で問題の少女を見上げ、少女もまた白龍を見下ろし、両者の視線がしっかりと合う。 「あなたは……そちらの私の宝物なんだね」「……きみは?」「私もそうだよ。神子は私の太一」 この謎の会話によって事情を察したのは、黒龍の神子たる朔と龍神の知識に明るい弁慶くらいのものだった。

 いまだ手を握られているですら、いまいちよくわからない。
 ただ、目の前の少女が――敵ではありえないということくらいしか。

 の沈黙をどう受け取ったのか、少女は無表情のまま小さく首をかしげ、しごく当たり前のことを再確認するかのようにあっさりと告げた。

「……わたしは元宮。高校二年生、こちらとは違う時空の、龍神の神子」

 は目を丸くした。
 えっ……。……えええっ!?
 驚愕する一同。なかば察していた朔と弁慶も、さすがに驚きを隠せない。

「せ、先輩も知らなかったんですか!?」
「し、知るわけないよ! ホントなにが起こるかわかんなかったもん!

 は堂々と・スッキリ・ハッキリ断言した。
 ああ聞くんじゃなかった…と善良な数名がクッと目を伏せる。

「きみが呼んだから、来たのだけど……来ないほうがよかった?」

 元宮あかねと名乗った少女は、淡々と尋ねた。
 うっかり頷きでもしたが最後、さっさと本当に姿を消しそうな口調に、わけがわからないながらもガッシリの腕をつかんで止めるである。
 だめだ。帰るなんていやだ。せっかく、せっかく助けに――

「た、助けに……来てくれたの? ほんとうに?」
「うん」
「……あたし、を……?」
「きみ以外には呼ばれてないから」

 あなたがわたしを望むのならば、とあのとき彼女は問いかけた。
 それに心の中でなんと答えたのか、今になってはようやく自覚した。覚えている。彼女の声がとてもやさしかったから……思わず、助けを求めたのだ。助けて、苦しい、と甘えたことを言った。

(あたしが、呼んだから)

 ――その声を聞き届けてくれたのだ、同じ龍神の神子が。同じ龍神の神子なのに。
 逆鱗を使うずるさも運命を変えようとする傲慢さも、全部知っているのだろうに。
 助けに来てくれた。

「ありがとう……!」

 泣き声まじりのそれに、多々詳細不明な点はあれど、誰も何も言うことができなかった。

 ふだんの明るいばかり知っている八葉たちは特に、肩を震わせておのれより小さな少女にしがみつく神子の姿に胸をつかれたような心地になる。
 この地でたったひとり怨霊の封印ができる白龍の神子という立場は、もともと戦いを知らずに育った彼女にとってどれほどの重荷だったことだろう、と。――それ以上の辛苦など、ほとんどの八葉には思いもよらないことだった。

 ふたりめの白龍の神子は、泣き続けるもうひとりの神子の頭をよしよしと撫でる。
 くわしい事情はいっさいきかない。きく必要がなかったのである。

 とりあえず雁首そろえた男性陣の出る幕のない光景であった。
 
「……わたしも、やきすぎたレバーとにがい桃は…あんまり……。あと、はやく起きるのとはやく食べるのは、昔からすこし苦手で……」

 何の話だ? と再び一同は思ったが、やはりつっこむことはできなかった。








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(はちみつ印。管理人ゆの:2008.11.4)