想像してほしい。 一日中たえることなく酒気のただよう粗末な小屋の中。 ふんどし一丁と化して低く土下座するムキムキの中年男。 そして、平然とそれを受ける世にも麗しいかんばせの幼い少年。 「許してくれ! このツケはいつか必ず……!」 「そうだね、そういえば前もそう言ってたねえ」 「ぐうっ、それを言われちまうと返す言葉もねえっ。だが、このとおりだ!」 「どうしようかな……」 「た、頼むぜ若旦那ー!」 なんでこんなことになったのだったか――。 目の前の光景が信じられないテッドは、回想という名の現実逃避を始めた。 それは、テッドがまだマクドール家の近所で暮らし始めて間もないころ。 過保護気味な養育係の目を盗んで一人首都を脱出しようとしていたティルを、偶然にも目撃してしまったテッドが、老婆心を発揮して何だかんだと無理やり着いていった――とある外出先でのこと。 首都グレッグミンスター近くの街。 慣れた様子で、当然のように裏通りへと足を進める大貴族嫡男。 道行く顔見知りとおぼしきお姉さんから、なぜか 「あら、ティーさんじゃない」 などと親しげに声をかけられてしまう世間知らずのはずの箱入りお坊ちゃんは。 ややあって、たどりついた小さな賭博場でサイコロを振り、周囲のどよめきを呼び、罵倒という名の喝采を浴び――ものの半刻で、冒頭の状況を作り出したのである。 ティーさんって誰? 若旦那ってナニ? まずそこからつっこみたいテッドの心境はさておき、土下座ものの事態は収束の方向へとさしかかっていた。 「アガリも満足にできねえ博打打ちで、いつもすまねえ……。わかっちゃいるんだ、若旦那相手に勝負仕掛けたところで、泥がつくのはテメエのほうだってのは……」 「でも、まったくエイさんはこりないよね。……仕方ないなあ。奥さんもお子さんもいるのに、根っからの勝負師なんだから。本当に、今回だけだよ?」 「若旦那、じゃあ……!」 「私もね、実はエイさんが挑戦しにきてくれないと何とも張り合いがないんだ」 おっ、恩に切るぜ、大将……っ!! まあまあ。もういいから顔を上げて。親分さんが気安くそんなことしちゃあいけないよ? ついに感極まって男泣きに泣くエイさんとやら。 ほがらかに笑いながら優しくその背をたたく若旦那。 周囲の面々はというと、「さすが、ティーの若旦那。フトコロの広さは並じゃねえ」「俺ら…また若旦那にツケちまったなあ…。もうすげえ借金になっちまってんだろうなあ…」 と非常に慣れたノリで見守っている。 拾ってもらったテオへの恩返しとして、お坊ちゃんのお守りでもしてやるか、と。 そういう気軽な気持ちでいたテッドは、結局、何の口出しも手出しもできなかった。あっけにとられたというのもあるが、ティルにはそんなものは必要なかったのである。 帰り道、やはり慣れた様子で、長棍を使って首都の外壁を飛び越えたティルへ、不本意ながら手を貸してもらったテッドは、意を決して 「…なあ、おい」 と尋ねた。 「お前、いつから、あんな……」 「質問はその一つだけ?」 「は?」 「君は僕を心配してくれたんだろう。だから偽らず答えよう。ただし、一つだけ」 「……一つだけ?」 「僕からの質問も一つだから」 たった12しか生きていない少年は、にこ、ときれいに笑った。 ……交換条件ってわけかよ。こんなちっこいガキが。はっ、いい度胸だ、こちとらクセ者は相手でものすげー慣れてるんだぜ…! すでに心中で子どもレベルに若返ったテッドは、「わかった、一つだな」 と話に乗った。 「じゃあ、訊くけど――お前、奴らにいくらツケてるんだ?」 「…………」 この質問で、どのくらいティルがあそこに出入りしているのか、今日の様子が果たして本当のことなのか、おのずと推し量れるというものだ。 しばし沈黙したティルは、しかし、少しも動揺してはいなかった。 遠い昔の記憶を思い出すように首をかしげ、やがて、「ああ」 と小さく声を上げる。 「そうだね……ほんの1000000ポッチくらいかな…」 思わず両手の指で、いち、じゅう、ひゃく…? などと数えてみた数字に弱いテッドである。桁にあわせて一本ずつ指を追っていくうちに、おいおいおいマジかよと真っ青になる。 とりあえず、それがとんでもない金額だというのだけは理解した。 1000000ポッチ。 その金額は、裏を返せばティル個人の資産に値する。 マクドール家を抜きにした、齢12の少年一人が稼いだ価値。 あぜんとするテッドへ、少年はやさしげに微笑んだ。 今度は僕からの質問だよ、と声変わり前のトーンが言う。 「君は、それで……この事実をどうする?」 やわらかな響きの中に、恫喝の色はわずかも含まれていなかった。 ただ、淡々とテッドの動向を確認している。 ――かえって、背筋がぞくりとした。 …ああ、ちくしょう、とテッドはがりがりと頭を掻いた。 なんでこう、おれがたまに関わる奴らは、こんな突き抜けたのばっかりなんだ。 「――秘密にしてやるよ。誰にも言わなきゃいいんだろ。テオさまにも。グレミオさんにも」 「…………」 「……なんだよ。そんな意外か? おれはご立派な貴族様と違って、お前が本当はひねくれもんでも、きれーなお姉さんたちにティーさんになんて呼ばれてても、少しもうらやま……たいして驚いたりしないんだよ」 ティルはわずかに眉を上げ、しまいには、ふふっと小さく笑い出した。 あざやかな夕焼けに照らされて、少年の輪郭が淡い暁色に染まる。 「ありがとう、テッド」 そのとき、亡き母親譲りだという絶世の美貌が、真の意味で初めてテッドに微笑んだようだった。 同じく夕焼けに照らされながら真っ赤になった童顔300歳は、(…の奴とどっちがクセ者だ?) むくむくティーさんことティル・マクドールへの好奇心をつのらせることになる。 かの相棒とティーさんの初対面は、この4年後。 『あー…、そこの少年。つかぬことを訊いてもいいか?』 『君は……?』 その縁の結実は、いまだ誰も知るよしもない。 |