昔のことを思い出してこっち。
 の身には 『色々』 という言葉ではくくりきれないほど、それはもう色々なことが……本当に色々なことが色々とあった。
 特に、二倍だの五倍だの八倍だのという次元を体験した後では、もうたいていのことでは驚かない気がしていた。

 結論からいえば――それは思いっきり間違っていたのだと。
 目の前にうずくまる美少年を見下ろして、いやおうなく実感するである。

「……そ…そうじさま……?」













25.事実確認はため息とともに















 ――なんで!?

 まっさきには内心で悲鳴をあげた。
 完全なる不意打ちだった。

 彼はまぎれもないかつての脅威。
 しかし、はっきりいって今の今まですっかり忘れ果てていた。

 そもそも現在のいる “ここ” は、そうじさまやら神隠しやらが存在する異界とはまた別物の世界なのだ。よりいっそうデタラメな世界というか。ある意味もっと原始的というか。根本からして別次元だというのに。
 なのになんで! 今ここに! このプリティーかつデンジャラスなデリシャスボーイが…!?

「ほう。君の気配を追ってここまでたどりついたようだね。作られたばかりの輪郭が消えかかっている。憧憬と思慕ばかりで数々の負荷に耐えたのなら規格外なことだが――」

 動揺する彼女の横で、神野影之がおなじみの何もかもお見通し発言をかます。
 例によって例のごとくが夜闇の魔王から詳しいところを聞き出そうとする前に、そうじさまの輪郭がノイズ混じりにぶれた。

 一瞬、は目の錯覚かといぶかんだ。
 否、と思考を読んだタイミングで魔王が訂正する。

「き、消えかかってるの……? 本当に?」

 何かをこらえるようにうずくまった少年の背が、ひどく危うい。
 さっぱり事情はのみこめないが、なぜか彼はを追いかけて、このようなことになったらしい。

「…わたしと同じとこを通ってきたんじゃ、そりゃゲッソリする気持ちはものすごくよくわかるけど…!」

 思わず握りこぶしで熱く共感するである。

「せっかくそんなに素敵な顔に生まれたんだから大切にしないとだめだよ! たとえ人間やめてても守るべきものは守らないと…!」

 もしもここに武巳が居合わせたならば 「そういう問題!?」 と激しく驚愕しただろうがが、あいにくと唯一の第三者・神野陰之にそういった気の利いたスキルは存在しなかった。

 ふるえる幼げな肩。よわよわしい眼差し。はかなげな微笑み。
 そして、忘れてはならない絶世の美貌――。

 しかし、いやいや落ち着けととて自戒しないでもなかった。
 えーとえーと、そう、相手は人外だから! かわいくても人間じゃないから! どっちかっていうと有害な……どっちかっていわなくても有害な……すごいかわいいけど有害な……うん、かわいいことは間違いない……。

 しみじみとは少年を見つめた。
 とりあえず、すでに “そうじさま” が怪異であることなど脳裏から吹き飛んでいる。

「……だ、だいじょうぶ? その、えっと、がんばれ?」

 がたがたと震える華奢な輪郭を見ているうち、ついうっかり励ます。
 ぽんぽんと肩をたたいてみたり、よしよしと頭をなでてもみる。

「ていうか、なんで着いて来ちゃったの? 危ないところだってわからなかった? 今の私はアレだよ、はっきり気づいたの今だけど……万が一にも君の獲物にならないと思うよ……?」

 おのれの対怪異における絶対防御を自覚したは、おろおろしながら何気なく完全勝利宣言をかます。近づく怪異をかたっぱしから問答無用で変容させる <特異点> 属性にとっては、たとえ人間に超・有害な 『怪異』 だろうと、ものの数ではない。

「……お……おねえさ…が」
「え?」

 うつむいた小さな顔がぼそぼそと何事かつぶやく。
 あわてて耳をすませて、その内容には目を丸くした。

 ――おねえさんがここにいるって
 ――おねえさんに、あいたかった

「な……なんで……」

 華奢な線をのこした少年は、じっとを見上げる。今にも消えそうな姿は、彼がここにたどりつくまでに相当の無理をした証拠だった。もともと不安定な存在だったものが、さらに脆くなっている。

 ――おねえさんと
 ――あそび、たかった……

 少年の大きな双眸に浮かぶのは、ただひたすらの好意。
 だいすき、と。
 したわしげにに笑いかけ――そのまま輪郭がうっすらと消えていく。

「待っ……」

 はとっさに呼び止めようとした。
 おのれに向けられた視線に気がついて、少年がうれしそうに目を細める。

 ――ばいばい

 完全に消えようとする間際、ちいさく最期の言葉が届いた。
 少年は、こんなときまでも楽しそうに微笑む。

 は 『怪異』 たる彼らの死に様を初めて目撃した。
 自我の核、存在の根本のところから痕跡ごと消えていく。骸の残らない死に方。よく見知った顔が、みるみる闇にとけていく。
 彼と似た顔が。
 二度と手の届かないところへ。

(……だめ――だめ!)

 その瞬間、の決断は素早かった。

 かつて空目恭一があやめを手に入れた方法と、取り戻した記憶を踏まえて、しっかりと少年を見据えながら、大きく叫ぶ。

「待って! ――“想二”!」









 ところ変わって、聖創学院大学付属高等学校。
 おなじみの文芸部の部室に、その日の空目はもっとも遅くあらわれた。

 ふだんから愛想のいいほうでは決してない彼は、室内に武巳、俊也、稜子、亜紀の四人しかいないことを確認し、ひたすらに黙りこくったまま後ろ手でドアを閉める。
 誰ともなく、いわくいいがたい異変を察知した。
 いつもどおりの無表情のなかに、ごく微妙な気配がある。

「……あの、陛下? ど、どうかした?」

 ためらったのち、結局おそるおそる尋ねたのは武巳だった。

「なんとなく……なにかあった…ように見えた、けど……」
「…………」
「え、ええと……」

 ほとんど睨まれるように見返されて、武巳は頬を引きつらせた。同時に、空目相手に感じた違和感の原因に気づく。
 目つきだ。
 なぜか、通常の数倍ほどに空目の目つきがするどい。
 超こわいよ今の君…。もしもここにがいたならば、すかさずズバリとつっこんでくれたことだろうが、無念きわまりないことに彼女は現在もなお行方不明中である。

 困り果ててた武巳はチラッとあやめを見るが、ちいさな少女はびくっと肩をすくませて、ふるふると頭を振った。 「……あ…、あの……。あ……」 何事かを必死に伝えようとしている様子の彼女をため息で制止し、しずかに空目は告げる。

「……昨夜、の携帯電話がなくなった」

 えっ? と武巳が目を丸くした。
 俊也は頬杖から顔を上げ、亜紀は文庫本のページをめくる指が止まり、稜子はガタッと椅子を倒して立ち上がる。

「ど……どういうこと、魔王様……?」
「言葉のとおりだ。の携帯がなんらかの思惟によって俺の部屋から消えた。昨夜、俺が部屋を留守にした数分の間のことだ。あやめが気配を察したときには、すでに定位置になかった」

 ぱたんと文庫本を閉じ、亜紀が眉をひそめる。

「……ねえ……それってさ、まさか <怪異> の仕業ってことにならない?」

 ああ、と首肯する空目。

「可能性はあるな。俺の家に俺以外の人間がいなかったとすれば、なんらかのトリックが介在しているか、あるいは人間以外の手によるものと考えられる。そして、俺はトリックを使ってまでの携帯を奪取する人物に心当たりがない」
「……じゃあ……」
「あやめが反応したことを考慮に入れれば――」

 空目が淡々と言葉をつづけようとした、そのときだった。

 あったーらしーい朝がきったっ♪

 すばらしくタイミング悪く、誰かの携帯電話が高らかとメロディを歌った。
 どこをどう聞いても、たいへん有名かつ爽やかな、かの体操ソングであった。

「えっ……だ、誰のかな?」
「聞いたことないけどね……。近藤、あんたじゃないの?」
「ええ!? ち、ちがうよ! ……あ、もしかして村神?」
「いや、オレじゃない」

 そもそも、着信音を歌に指定するような愛嬌のある性格の人間は、この場では武巳と稜子くらいしか存在しないはずだった。しかし、現に容疑者ふたりはハッキリと否認を表明している。
 と、いうことは……? 皆が消去法で真実にいきあたる前に、当事者が自白した。

「俺だ」

 ええ!?
 はげしい衝撃を一同に与えつつ、魔王陛下はいたって冷静に携帯電話の液晶画面を確認する。とたん、さらに目つきが悪化した。無言で武巳たちに画面を向ける。

 ――着信 

「…………っ!!」

 行方不明のからの、ありえないコール。
 凍りついた空気の中、あやめだけが 「……!」 みるみる表情を変えた。神隠しの少女はあきらかに狼狽し、ひどく焦れるように空目を見つめる。

「……出ろ、ということか?」
「あ……あの……っ…………」
「感染の危険は?」
「……っ……」

 明確な会話をかわすことが不得手な彼女は、ただ訴えかけるように首を振り、問題の電話と空目へ交互に視線をおくる。
 ほんの数秒の思慮ののち、空目はそっと目を伏せた。

 はじめのコールからすでに数十秒がたつが、着信音はいまだつづいている。
 ついに、彼の指が通話ボタンを押すと――

『……ちょ、マジで? わあ、ホントにつながっちゃったの?』
「…………」

 想定外の音声受信に、当初とは違った意味で沈黙する魔王陛下。

『もしもし、もしもーし。あのー、空目くーん?』

 これは本物だろうか、と空目はひとまず考えた。
 声はたしかに記憶にあるのものだった。口調にも覚えがある。

『……え、つながってるんだよね……? お、応答せよ、空目くん! 求む、状況報告! …………。……やばい不安になってきた。よく考えたら電波バリ3っておかしくない? おかしいよね? ふつーに圏外のはずじゃない?』

 呼吸の入れ方も、言い回しの微細な特徴も、空目にとって聞きなれたものだった。
 彼女がこつぜんと姿を消す前は、毎日のようにそばにあった気配。
 あの携帯電話の正当な持ち主。

「……か」

 事実確認はため息とともに。
 すわ人外からの電話と予想された相手は、『なんだよー、いるんならちゃんと出てよー!』 ごもっともなクレームをつけた。

 







 あわてずさわがず通話機能をハンズフリー設定にした空目は、 「からだ」 と武巳らに一言のみで説明し、文芸部部室の机に携帯電話を鎮座させた。

「……からって……、え…ええっ!? 陛下!?」
「ほ、ほんとに? ほんとなの魔王様!?」

 行方不明かつ生死不明であった同級生の
 そうじさまの <目隠し> によって空目邸から消息を絶っていた彼女が……!?

 半信半疑の面々だったが、実際にスピーカーから響いた声は――特に、空目との会話にいたっては、わかりやすいにもほどがあった。

『いやー……、まさか私もこんなことになるとは思わなくって。……あ、生きてるよ? 大丈夫、ちょっと妙な世界にいるけど、いちおう元気。死んでない死んでない』
「妙な世界?」
『妙だねー…。方向感覚も時間の感覚もぜんぜんきかないとこだよ。なんで電波立ってるのか不思議だよ。……どこかって訊かれると困るけど……君のいう <異界> ともまた違う別世界? 少なくとも人間は住んでなくて、えんえんつづく無明の闇ってかんじ』
「――<異界> とは違う別世界?」
『お見せしたいくらい別世界です。熱くも寒くもなく、 <怪異> の皆さんもおらず、出口も入り口もわかんない。最初はなんかもう、うっかり気が狂うかと』
「……驚いた。どうやら正気のようだな。体調は?」
『身体感覚上はオールグリーン。……空目くんも死んだと思ってた? 』
「そうだな、 <目隠し> の事例からいって生還の確立はかなり低い」
『そうだよね、そこで生きてるって信じてたとか絶対言わないのが君だよね……』

 それらのやりとりをポカンと聞いていた武巳は、隣の稜子がついにクスッと涙まじりに笑い出したのをきっかけに、つられたように破顔した。あたりまえのように会話を交わす二人がむしょうにおかしかった。見れば、亜紀は額に手を当て呆れ、俊也は安堵をとおりこして仏頂面になっている。

 ちゃん、と稜子が話しかけると、稜子ちゃん? と打てば響くように答えが返った。

ちゃん……! 元気なんだね、よかった……」
『ご、ごめん、心配かけて……! 稜子ちゃんも元気そうでよかった』
「おれもいるよ、ちゃん。村神も、木戸野も。今、部室なんだ」
『武巳くん!』

 おなじみの四人がそろっていることを知ると、の声は一気に明るくなった。
 ともかくお互いの無事を確認しあい、各々ホッと息をつく。
 なかでも、が失踪する現場に立ち会ってしまった武巳は、うれしさのあまり目尻をぬぐいながら背を丸めた。思わず、魔王陛下の着信音がラジオ体操のテーマであったことなども笑い話として打ち明けるが、 『あ、それ私が設定したやつ』 と予想外の真相が判明して 「…え?」 と固まった。

『人によって着信音変えとくと画面見る前に相手が誰だかわかって緊急時に便利だよねって言ったら、一理あるとかなんとか空目くんが意外に同意を示して……。夏休みだったかな、ためしに私が指定したの。……あの選曲は……似合わなすぎて逆にアリかなあって……』

 そっか、まだ私が設定したまんまだったんだね、空目くん……。
 特に変更する理由もなかったからな。
 大物といえば大物な会話に、村神は瞑目してこめかみを押さえた。そうだった、そういうやつらだった。片一方は所在不明という非常時であるというのに、妙に堂々と落ち着きはらっているのはなぜだろう。

『ともあれ、私のほうは大丈夫だから。くわしいことは戻ってから話すけど、今のところ命の危険もないし、帰れることは帰れる予定だし……』

 やけにあいまいな物言いをする彼女に、むろんつっこんだのは彼だった。

「こちらに帰ってこられる手段があるのか?」
『手段……というか人材というか。神野陰之くんという名の案内人が』
「――なに?」
『うわ、そんな低い声出さなくても。大丈夫、たぶん危険はないよ。ふだんの彼はそりゃあ怪しくて怪しくてしょうがないけど、今はプライベートみたいだから……。……まあ、今が怪しくないかといわれると残念ながら怪しいんだけど』

 かの不審人物のプライベート。とりあえず武巳には想像することもできないが、の口ぶりからすれば、彼女のそばにいる神野陰之はひとまずのところ無害であるようだった。

「……では、お前がじきに帰ってこられると仮定しよう。その時期は?」

 うっ、それを訊きますか、と通話先でうめき声があがった。
 やがて、ぼそぼそと自信なさげにが言う。

『……時期は、わかんない。……ごめん』

 そうか、と空目は平静だった。
 一方、の声はしゅんとなる。

『早めに戻れるように全力でどうにかするから……。それまでは、なにかあったら携帯に連絡ください。電池がもつかぎり有効利用する方針で』

 それなんだけどね、と亜紀が初めてに話しかけた。

「あんたが今持ってる携帯は、どうやって手に入れたの? こっちじゃ、昨夜、恭の字の部屋から不自然に消えたって悩んでたんだよ」
『ええっ、昨夜? ……あ、そっか。こっちとそっちじゃ時間の流れが違うから……。……えーと、その、なんて言っていいか……』

 はひどく言いにくそうに告げた。
 わ、笑わないでね、との不思議な前置きつきだった。

『……じつは。携帯は、さっき届いて』
「さっき? ……誰から?」
『……そ――、――』

 瞬間、の言葉がふいに雑音にかき消される。 「……もしもし?」 亜紀が呼びかけるものの、通話は復活せず、やがてプツッと完全に途絶えた。
 あとには、ツー、ツー、ツーという無機質な電子音。

「……かけ直してもつながらないようだな」

 すぐに着信記録からダイヤルした空目は、しずかに事実を述べた。








「……うっ。切れた」

 さっきまで電波3本だったマークが今は見事に圏外と化して、結局肝心なことを伝えられないまま通話は切れた。あのとき躊躇せずビシッと告げていれば、もしかしたら間に合っていたかもしれないが――いや、それはそれでとんでもないところで通話終了のタイムリミットがおとずれて、かえって迷惑なことになっていただろう。

(やっぱり電話じゃなくて、ちゃんと会って説明するのがベストだよね……)

 しかし、今のところそれは至難の業だった。
 はからずも、この通話によって心から実感せざるをえなかった。

 ――電話ごしでもわかる、あの世界のうるささときたら。

 余計な音をひろわないよう知覚をセーブすることだけで精一杯で、あちらの様子をさぐる余力はまったくなかった。
 通話に乗ってあふれた圧倒的な情報量に眩暈がして。
 音が、色が、声が。
 なにより、なつかしい彼の気配が、じかに触れてくるようで。

「ああ、もう……前途多難だっていうのに!」

 つい愚痴をこぼすと、くつくつと神野陰之が笑った。
 さらに、“そうじさま” 改め想二もくすくすと笑った。名づけられたことによっての影響をそれはもう甚大に受けてしまった少年は、あきらかに以前よりも血色よく生き生きとしており、とてもうれしそうに足元にまとわりついている。

 いっしょにいてもいいのなら、おねえさんのいうこと何でもきくよ、などと一命をとりとめた彼が胸をはるので、ほー、じゃあ私の携帯をとってきてくれる? と無理難題を申し付けたのだが、結果、なんとあっさりコンプリートされてしまったのである。
 それ以来というもの、シッシ、あっちに行ってなさい! とは言えなくなっただった。自業自得ともいう。

 そして今。手に戻った携帯電話の日付をちらりと再確認する。
 そこには何度見返しても10月とある。……やばい。やばすぎる。すでに一ヶ月も!
 うずくまって丸くなって頭を抱えたい心境におちいっていると、想二がくいくいと衣服のすそを引っぱった。

 ――どこかへ行くの? どこへ行くの?

「う、うん。そのうちね、元の世界に帰るよ」

 ――ぼくも行く!

「う、うん……そ、そうね……」

 うっかりやさしい顔で微笑み返しつつ、は遠い目をしてつぶやいた。
 ああぁあ、前途多難。















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(2009.1.1)