かなわない...
組合幹部の目を盗み、外へ出かけていた隙に、自室の風通しが極端に良くなっていた。
「や」
部屋のソファに、何事もなかったかのようにその原因は座り、
彼に片手を上げて挨拶をした。
「……壁を壊して部屋に入るのはやめろと何度も言ったろう?」
「年寄りなもので、忘れちゃいましたね。そんなこと」
直せばいいんでしょう?とはぶつぶつ文句を言って、空中から杖を取り出し、
呪を唱える。
見る間に壁は元の形を取り戻した。
「お前にかかると、鍵も用無しだな」
「たとえ、世界が明日滅亡しようとも、あんたのところへ夜這いに来ることはないから、
壁がいつ壊れるかと警戒する必要はないですよ」
どこぞの皇女ばりの台詞を言うに、とっちゃん坊やの妖怪ジジイこと、
組合の首座はうんざりという表情をした。
「何の用だ?」
自分の椅子に座り、山と詰まれた書類に目を通しながら、銀髪の少年は尋ねた。
用がないなら、帰ってくれないか?と言外にほのめかして。
「来たくて来たわけじゃないですよ」
にっこり微笑みながらは答える。
顔に不機嫌と太い文字で書かれているかのように、分かりやすい表情で。
「ほう、ではどうして?」
「魔術師組合最高責任者の首根っこを捕まえてきて欲しいって言われたんですよ。ユーマに」
「それは、難儀だったな」
少年はまだ文句をぶつぶつと言うに、苦笑した。
その言葉に、の目がギロリと少年を鋭く睨む。
「あんたが言います、それ?」
「しかし、お前のことだ。それだけで動いたはずはなかろう?」
少年は口の端を持ち上げながら尋ねた。
は片眉を少し上げるだけで、何も答えない。
「で、誰に聞いた?」
「目的語を省いた会話って好きじゃないんですけど?」
「わたしが言わなくとも分かっているのだろう?ならば、それでいいではないか」
「そうやって面倒くさがっていると、絶対痴呆症になりますよ。このタヌキじじい」
「それから?」
「ハゲ」
「わたしはハゲではない」
「白髪のお化け」
「これは銀髪だ」
「妖怪ジジイ」
「それはお互い様だろう?」
もうおしまいか?と少年は書類から目を離さずに言った。
はむっとして、大きく息を吸い込み、続けざまに取って置きの暴言を吐いた。
「むっつりスケベの腹黒男。変態。あほ。かぼちゃ。お前のかーちゃんでべそ。
この××××(←自主規制)」
「………エイザードに、そういう言葉を教えたのはお前か?」
「逆ですよ逆。可愛い乙女が、こんな言葉を他人に教えるわけないでしょう?」
息継ぎの位置を間違えたのか、少々息を切らせながら、は毒を吐く。
少年はため息を一つ落とすと、呆れた顔をした。
「乙女、という年でもあるまい」
「あんたにだけは、それ言われたくないですよ」
「人を年寄り扱いするな」
「その若作りには、本当に呆れを通り越して、同情すら抱きますね」
「ほう、奇遇だな。私もそうだぞ」
「………この…」
は怒りに震え、今にも少年を殴りつけそうな拳を、必死でなだめた。
「そんなことはどうでもいい。それより、人の質問に答えんか」
「あー、もう!はいはい。分かってますよ。ナハトールから聞きました。
これでいいでしょうか?」
は観念したかのように口を開く。
その答えは、少年が予想したとおりであった。
「まったく、口の軽いやつだ」
「いや、あんた……さんざん、いろいろな人に姿見られておいて何言うんですか」
「姿を消すということを、すっかり失念していたからな」
「………引退が近いのでは?」
「だから、年寄り扱いするなと言うに」
「で、どうでした?」
ごまかすように、は話を切り換えた。
「お前の方こそ、主語を省く会話をどうにかした方がいいのではないか?」
「放って置いてください。で、どうでした?」
わざとらしく後半部分を強調する。と、少年は指でこめかみを押さえながらため息をつく。
「まだ、生きていたよ」
「そうですか」
それきり黙りこんだに構うことなく、少年は他の書類に手を伸ばした。
しかし、いつまでたっても話し出さないにいらだってきたのか、
少年は自分から話を促した。
「そんな話をしに来たわけではないのだろう?」
「私があの場にいたら……あの馬鹿の暴走を止めることができたんでしょうか?」
はまるで独り言をもらすかのように呟いた。
「もう少し私が早くここへ来ていたら」
ナハトールの話を聞いてすぐ、この場所にきていれば…あるいは、とは思った。
あの四人に、あんな光景を見せることもなかったのかもしれない。
「お前の悪い癖は、何でも自分に責任があると思いたがるところだな」
ため息交じりに、少年は呟いた。
「そうやって自分に全部なすりつけた方が、楽なんです」
「お前たち二人は良く似ているな」
「冗談はやめてください。今度それ言ったら、目の前で舌噛んで死にますからね」
「死ねるものならばな……」
さて、といいながら少年は席を立つ。
手にしているのは、書類の山から引き抜いた一枚の紙。
「わたしはこれを長老たちに渡しに行かねばならないが……お前はどうする?」
「は?」
「どうやら、"楽園"をなんとかしろと、各方面からの要請がきているらしい。
余りにもそれが多すぎるのでな……。復帰の方向で検討することとなった。
これはその一案だ。まぁ、と言っても、今からの会議で間違いなく可決されるだろうがな」
「……それじゃあ?」
「四人の謹慎は今朝解かれた。まもなく、ここへやってくるだろう」
それで、お前はどうする?と少年は肩落としたままだったに尋ねた。
「……エイザードのところへ…」
「そうか。なら、後で私も行くと伝えておいてくれ」
「分かりました……」
と少年は共に部屋を出る。
「ああ、そうだ」
「なんでしょう?」
部屋の鍵を閉めながら、たった今思い出したかのように少年はに話し掛ける。
「自分になすりつけるのは構わないが、自分で何とかできる範囲にしておけ。
それ以外のことはまとめてわたしが引き受けよう」
「………それは、どうも」
「あと、その目元を何とかしてから行かないと、エイザードに笑われるぞ」
「そっちこそ、さっさと行かないと、いつか誰かにその座を乗っ取られますよ」
お互いに軽口を叩いて、別れる。
「まったく……かなわないなぁ…」
心の底まで見透かされているのではないかという焦燥感と、
何も言わずとも分かってくれるという安心感。
二つの相反する感情を抱えたまま、来たときよりも幾分浮いた足取りで、
はエイザードの眠る部屋を目指す。
「ふふふ……早く起きないと知らないんだから」
胸に残っている多少のむかつきを消化させるために、哀れエイザードはの犠牲になるのだった。
だが、それは…まだもう少しだけ先の話。
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