特にこれ、という理由があった訳じゃない。 ただどうしてだか今日は眠れなくて、気分転換もかねて少し散歩でもしようと思っ た。 それだけだった。 満月に照らされた夜道をのんびり歩き、よく歌の練習をしている公園へ足を踏み入れ る。 真夜中も真夜中。午前1時を過ぎた公園には当然子供なんていなくて(いたら怖いけ ど)、酔っ払いなんかもいない。 小さい頃からお気に入りのジャングルジムのてっぺんに座り、公園を見下ろした。 静かな静かな別空間。 どこか会場前のコンサートホールのイメージに似ている気がして、小さく笑った。 「んー……今日はアメイジンググレースの気分かなー」 深夜であることを配慮して、小声にしようと決めて。 冷たい空気を肺一杯に吸い込んだ。のだけれど。 「……?」 不意打ちで名前を呼ばれて、思わず第一音を紡ぎ損ねた。 声が出ていたら確実に裏返っているに違いない。―――出なくてよかった。 「村神?」 有り得ない状況に、思わず突っ込むのを忘れて普通に名を呼んでしまった。 どうしてこんな所にいるんだとか。 どうしてこんな時間に起きてるんだとか。 どうしてこんな夜更けにまで制服来てるんだとか。 後から思い返すともったいないほど突っ込みどころ満載だったのに。 「何してるんだお前」 「そりゃこっちのセリフだって。村神こそ何してんのさ」 「いや俺は……眠れなくて」 どこか困ったように頬をかく村神に、オレは目を丸くした。 こんな偶然もあるものなのか。 普段廊下ですれ違うのとは、格段に偶然の度合いが違う。 けれどそれが何だか嬉しかったのもまた事実なので、半ば飛び降りるようにジャング ルジムから降りると、猫のように笑った。 「眠れないんなら歌聴いてかない?」 アカペラだけどさ。付け加えたら、村神が珍しくきょとんとした顔をして、そしてお かしそうに笑った。 何か変なことでも言ったか? 「いや、ちょっとな。――お前覚えてないのか?初めて音楽室で歌を聞かせてもらっ た時。あの時も、そう言ってた」 「……そうだっけ?」 よく覚えていないけど、村神が言うのならそうだったかもしれない。 そう自己完結させた所で、村神がいつの間にかブランコ前の柵に腰掛けているのに気 がついた。こいこい、と手招きされたので、習って横に座る。 「踊るポンポコリンは無しだぞ」 今日はポンポコリンの気分じゃないんだけど、やけに難しい地蔵顔でそう釘を刺され たので大人しく返事をしておく。 ならいい、と目を瞑って聞く体制に入った村神を横目で確認してから、先程と同じよ うに冷たい空気を肺一杯に吸い込んだ。 Amazing grace, how sweet the sound that saved a wretch like me. I once was lost but now I'm found, was blind but now I see. 歌の途中で、音が二つに分かれた。 とは言っても、別にオレが声を二つ使ってるわけじゃない。 村神、だった。 短い中の優しい旋律。村神の低音がベースになって、メロディを押し上げてくれる。 Twas grace that taught my heart to fear and grace my fears reliebed. How precious did that grace appear, the hour I first believed. 歌い終わって、全ての音が空気に溶けてなくなるまで互いに黙ったままで。 公園に静寂が戻ってくると同時に、2人で笑った。 あの日のように。 「なに村神、また新たな特技?」 「ついこの間授業でテストがあったんだよ」 あぁ、今オレはその音楽の教師に、最大級の感謝を示したい。 オレの歌に村神が伴奏をつけてくれるだけでもスキップしたくなる程嬉しいのに、ま さかこんな風に一緒に歌える日が来ようとは。 嬉しすぎて今なら空が飛べそうだ。 「の歌聞いてたら、何か眠れそうな気がしてきた」 「うん、オレもそうかもー」 軽口を叩きあいながら、2人で立ち上がった。公園の入り口までのんびり歩き、また 明日、とだけ言って別れた。 家は反対方向なので、自然背を向け歩き出すことになる。 と、何歩か進んだところで大切なことを思い出して、振り返って村神ーと名を呼ん だ。 「おやすみ」 ひらひらと手を振って告げると、やや間があって、おやすみと帰ってきた。 『素晴らしい神の恩寵、何と甘い言葉の響き』 じんわりと胸に広がる暖かさに、あれだけ遠のいていた眠気が急激に襲ってくるのが わかった。 今眠ったら、きっと心地よい夢が見られるに違いない。 この感じを逃さない内に布団に潜り込むため、オレは駆け足で家路を急いだ。 |