が 『そのこと』 に気がついたのは、唐突だった。 もう数え切れないほど繰り返した時空の中で、剣の使い方も封印の方法もすっかり身についてきたつもりであったが、その感覚はまったく未知のものだった。 ぎょっとして立ち止まり、おのれの手のひらを見下ろす。 「どうかしたの、? 具合でも悪いの?」 「えっ、大丈夫ですか先輩?」 花断ちを九郎に披露した直後のことである。 帰路のさなか、いまだ神泉苑の敷地内にて急に足を止めてしまったに、朔と譲が心配そうに声をかける。先を行く他の者も、すぐに気がついて振り返った。 さきほど音もなく花弁を両断してみせたばかりの龍神の神子は、じっと両手を見つめ、むずかしげな顔で立ちつくしていた。 一体どうしたっていうんだ、と業を煮やした九郎の問いに、はわりとシリアスに答えた。 「……今なら新技が出そうなんです」 うっかり神子召喚 きらりと輝いたの瞳を見た瞬間、幼なじみ兼八葉の譲はおそれおののいた。はるか昔の幼いころ、大人用プールの飛び込み台を見つけたときも彼女はこんな瞳をしていた。あぶないから止めろと必死に止める譲へ 『だいじょうぶ』『絶対できる』 と何の根拠もなく堂々と答え、あっというまに10メートルの飛び込み台からジャンプしてしまった―― 「せ…先輩! 待ってください、何をするつもりですか!?」 「大丈夫。何がどうなるかよくわかんないけど大丈夫!」 「待っ……」 「なんとなく今なら絶対できる気がする!」 変わってない――! 豪快に無茶をする前触れのキメ台詞が、京の青空にすがすがしく響きわたる。 幼少時のエピソードでは奇跡的に鼻から水を飲んだだけで迅速に大人に救出されたが、今度の無茶では一体どんなことになってしまうのか予測もつかない。 「ねえ、白龍。なんだろうね、この感覚。こんなの初めてだよ」 「神子……。ごめんなさい、それは私にもわからない。ただ、神子の気が今までよりもずっとずっと高まってきている。神子が呼ぶ、神子を呼ぶ、縁(えにし)が見えるよ。きっと、神子の声しか届かない……」 「……? まあいいや。ともかく、ここで今ためしにやってみてもいいかな? なんか……そう、なんか呼べる気がする!」 うん、と頷く白龍。 うんじゃない! とあわてる譲。よ、呼ぶってナニを!? しかし、その場でおろおろしたのは彼だけだった。の剣の師匠リズヴァーンは 「神子の望むままに」 と泰然としており、兄弟子九郎は 「先生がそうおっしゃるなら」 と同様の構え、黒龍の神子たる朔も積極的に止めに入る様子はない。弁慶にいたっては 「まあまあ、落ち着いてください」 と譲をなだめにかかる始末だ。 「さんなら大丈夫でしょう。もしも危険な試みだったら、あの白龍が了承するはずがない」 「そ、それはそうかもしれませんが……」 「…とはいえ、何か万が一のときのために僕らが心構えをしておくことも必要でしょうね」 さりげなく武器を示してみせる弁慶に頷き、譲も弓を握りなおす。 白龍と神子がそろって 『呼ぶ』 というからには何かが呼ばれてくるのであろう。たとえそれが何であろうと自分は彼女を守るだけだ、と決意を新たにする譲である。 それに、よくよく考えてみれば、こういったことは何もこれが初めてでもない。 ついこの間までふつうの女子高生だったはずの彼女が、なぜかいきなり剣豪ばりの腕前で刃物を扱いこなしていたり、オカルトめいた怨霊の封印がお茶の子さいさいだったり、それらの技能を駆使して背中に仲間を守ったりしてしまうのだ。 そのたび、律儀に 「せ、先輩!?」「正気ですか先輩!?」「うそでしょう先輩!?」「なんでですか先輩ー!!」 とバリエーション豊かにびびってきた幼なじみである。いまさらの特殊能力が唐突にひとつ増えたところで、またですか先輩!? という驚きが胸を通り過ぎるだけだ。 幼なじみが一種不憫な心境におちいっていることなど露知らず、は 『召喚』 の準備に入る。 すっと両目を閉じて、深呼吸。 この段階になっても、これから一体なにがどうなるのかにはさっぱりわからない。とりあえず、これを実行すると現在満タンの集中力をごっそり使いきってしまうような、かなりハンパない大技だということくらいしか。 ……そうか、と思った。 だから今まで使えなかったんだ。何度も時空を繰り返して、多くの戦場を体験して、おびただしい数の怨霊と戦って、剣の腕も集中力も飛躍的に成長した。――歴戦の神子になって、ようやく手が届く技なのだ。つまり、ある意味ラスボスをぶっとばすよりも、龍神を呼ぶよりもむずかしい技なのだ。……こわいことに気づいてしまった。マジか。そんな技があるなんて考えもしなかった。 うおーどうしよう口の中がカラカラになってきた…! はひそかに全身を震わせた。 けれども、後戻りはできない。なんかもうここまで来たらやるしかない。こんな中途半端なところで止めたら気になって夜も眠れない…こともないだろうが、ともかく気になって仕方がない。 覚悟を決め、祈りささげるように手を組み合わせる。 しずかに、何かに、呼びかけた。 「……あー…てすてすてす、ただいまマイクのテスト中…じゃなくって、そのあの」 は緊張のあまり地味にギャグをすべらせた。 以前バンジージャンプの直前ですらニヒルに笑って幼なじみに親指を突き立ててみせた彼女にしてはたいへんめずらしい繊細さだった。 「あたしの……あたしの声が、きこえますか? あたしは春日、高校2年生です。兼業で白龍の神子やってます。特技は早寝と早食いと怨霊の封印で、苦手なことは料理と裁縫と歌と、あと……そうだ、どうしても焼きすぎたレバーと苦い桃だけは……」 なんの話だ? と思いながらもつっこまない一同。 そんな余計な自己紹介を述べながらも、龍神の神子は一心に 『どこか』 へ向けて呼びかける。 「あたしの声は、きこえていますか……? きこえていたら、どうか……」 どうか答えてと続ける前に、リィンと鈴の音が響いた。 何かに気がついた白龍がはっと上を見上げる。 ――あなたが その声は、白龍だけでなく八葉の耳にも確かに届いた。 すずやかな鈴の音色をまとわせて、その 『誰か』 はの言葉にこたえる。姿形のないまま、細く現実味のない声だけが少しずつ近くなって、次第にはっきりと鼓膜を震わせる。 ――あなたがわたしを望むのならば それは、降り始めの雨のような声だった。 迷い子よ。遙かなる時空をこえて、あなたがわたしを望むのならば。 |