白龍の神子がもうひとり。 それは単純に考えれば、怨霊、ひいては平家に対する切り札が増えたというふうに思われがちだが、事態はそれほど源氏にとって都合の良いものではなかった。 追加人員、元宮はきわめて堂々とこう述べる。 「……わたしが役に立つとか思ったら大間違いだよ」 所定人員、春日は朗らかに頷いた。 「いいいのいいの、ちゃんはそこにいてくれるだけで! もともとは別の時代の神子さんなんだもん。あたしのわがままでムリに居てもらってるんだから絶対迷惑はかけられないよ。あぶなくなったらソッコー帰ってねって言ってあるし」 要するに、おおざっぱにいえば戦力的にさして変化はなかったのである。 冒頭のの爆弾発言は、その夕餉後、改めて話題となった。 しずかに食事を終えた問題の先々代の神子は、 「でもと同じ白龍の神子なのでしょう…?」 という当代・黒龍の神子のごもっともな言に首をかしげた。少し考えるように間をあけてから、ええとね、と口を開く。 「白龍の神子は、役に立ってあたりまえ?」 「え……?」 「役に立たなければ白龍の神子ではない?」 「…………!」 感情ののらない端的な問いかけ。 その意味するところに朔ははっと息をのんで言葉をなくしたが、の視線はむしろ背後の八葉たちへと向いていた。深い色の瞳がひたと彼らの表情を眺め、やがて何事もなかったかのように外された。 と白龍は厠へと席を外している。 それまでをほとんど独占していたが離れ、まっさきに声をかけたのが黒龍の神子・朔だった。自分自身を 「役立たず」 と評する少女に、まったく悪気なく 「でも」 と前述の台詞で答えたのである。 しかし、可憐な外見をうらぎって、二人目の白龍の神子は一筋縄ではいかなかった。 なんでこの時代にオムライスがあるの? と問うのと同じ淡々とした口調で、人の役に立つだけが神子の存在価値? と尋ねる。 朔をはじめ、思いっきり油断していた面々は誰一人とっさに反論できなかった。 答えにくいにもほどがある質問である上に、がフラットに無表情すぎて真意が読み取れない。 「神子はみんな自己犠牲が好きだと思っているのなら、初歩的な誤解だから気をつけて。神子だって人間だから、痛いものは痛いし、怖いものは怖いし、嫌いな相手を憎むことも、好ましい相手を愛することもある」 わすれないで、とは言った。 「龍神の神子の献身は、無条件でも無尽蔵でもない。……もしが役に立っているとしたら、それはただ、あの子がきみたちに好意的だからだというだけ」 朔はひどくかなしげに眉目をひそめた。 要するにもまた自己を犠牲にして相応の恐怖や苦痛に耐えているのだといわれたも同然だった。同じ白龍の神子から告げられた言葉だからこそ、疑う余地はない。 「……だけど」 めずらしくがふわりと微笑んで、きわめてナチュラルに朔の手をとった。 「神子としてだけじゃなく本人を大切にしてる人には、よけいなことを言ったね……」 ごめんね、きみがわからないわけがなかったよね、と。 白龍の神子特有のやさしい笑い方が、唐突かつ迅速に、さきほどとはまったく違った意味で朔を絶句させた。 それは有無をいわせぬ包容力といって過言でない。 宇治川で出会って間もない朔をあたりまえのように助けたのように。 「黒龍の神子。わたしの対もそうだったけれど、きみもとてもやさしいね……朔」 「……っ……!」 黒龍の神子は顔を赤らめた。 (この子、と同じだわ…!) おのれの心にするりと入り込んできた快活な少女とは姿も性格も明らかに違うのに、不思議な人なつっこさだけはそっくりだった。 自らをのようにやさしくはないと言いながら、はまるで慈しむように目を細める。 …え、何この雰囲気? と男性陣数名が置いてけぼりの心境を味わったが、実際につっこむ勇者は皆無だった。 一方、早くも味方を増やすに、弁慶は警戒をふかめざるをえなかった。 他人の好感度の奪取によって大小さまざまな運命をひっくりかえす――そんな油断も隙もない白龍の神子共通の固有スキルにおいては、さすがの彼も知るよしもない。 うっかりすると星のひとつやふたつは朝飯前に奪っていく神子にとって、この程度のイベントはもはや無意識のうちである。 「……つまり、以外の神子には、我々のいかなる期待も無駄だと言いたいのか?」 いまいち空気を読みきれなかった九郎が、ずばりと話を元に戻した。 本能でもって本筋をつかむ男は、今回においても単刀直入だった。 「龍神の神子とて、本来ならば戦場にあるまじき女人。それは俺たちも承知している。みだりに危険な目に合わせるつもりはないが、怨霊を無力化できるのは神子だけであることを考えると――そうだな、なんと言葉で取り繕おうと、源氏に協力してもらう以上は、結局は争いに巻き込むになる。……ゆえに、朔殿やの覚悟が稀有だということか?」 「うん」 「……お前をと同じように扱うべきではないのだな?」 「うん」 あっさりとは頷いた。 仕方ない、と九郎は引き下がった。そもそもや朔の戦意や戦闘能力が女人にしては規格外なほどに整っているというだけで、たとえが見た目どおりの脆弱な少女であったとしても何一つ不思議なことはないのだ。そう、花断ちのみならず一刀に怨霊をしばき倒すを神子の基準としてはいけないということだ。 龍神の神子は皆おそろしく強いのだな…と内心いたく感心するばかりだった九朗は反省した。ここで素直に悔い改めようとするところが彼の紙一重な長所である。 しみじみ九郎がわかったと言う前に、「…あきらめたほうがいいよ」 と少女が念押しする。 「神子だって何でもできるわけじゃない」 「ああ、わかっている」 「わたし…昔から運動は苦手なの。戦うは戦うでも剣とか扇とかで戦うの向いてない、たぶん」 「だから、わかっ……。……?」 ん? と九郎は止まった。 「降りかかる火の粉くらいは払えるけど……。武術とか…めんどうくさい……」 いや…待て、と慎重に源氏の軍主は悩んだ。 降りかかる火の粉は払える、とはどういうことだ? 「――戦えないのではないのか!?」 「どうして」 「戦場に出たくないのではないのか? と同じことを求めるなとは、そういうことだろう?」 「ちがうよ」 同じく淡々と即答する。 「ではどういうことだ!?」 つい喧嘩腰になる九郎。 そこで 「落ち着いてください、九郎」 口を挟んだのは弁慶だった。 実直すぎるきらいのある源氏の総大将にとって、ふたりめの白龍の神子はいささか相手が悪い。 (……そう、さんと同じと安易に考えていては足元をすくわれそうだ) 色素のうすい軍師の瞳がつめたく底光りした。 「……さん。もう一度、はじめから確認させてください。……きみには武器をふるう力はないが、戦場で生き残るだけの力がある?」 うん、とやはりは即答した。 小柄で華奢な体つきのどこにも説得力はなかったが、少女はあたりまえの事実を述べるように過不足なく堂々としていた。 「……さん、僕にはきみが可愛らしいお嬢さんに見えるんです。何かの間違いで戦場に出て、ひどい怪我でも負ってしまったら取り返しがつきません。どうか教えてはいただけませんか。武器も持たずに一体どのように戦うつもりですか?」 「…………」 意図的な沈黙。 弁慶はやさしげに眉尻を下げた。 「弱ったな。きみを困らせるつもりはないんですが」 「……わたしもあなたを怖がらせたいわけじゃない」 瞬間、ピリッと空気が引き締まる。 弁慶の警戒を 『怖がらせている』 と表現したの表情は何も変わらなかったが、軍師の微笑みには凄みが増した。知ってか知らずか、は言葉を続ける。 「心配しなくても、わたしはの味方というだけだから……。わたしの背後関係も黒幕も何もないよ。怖がらなくて大丈夫」 「……心配なのは、きみの安全なんですよ」 そうなの? 素直そうに首をかしげる。 ええ、もちろん。親切そうに眉をひそめる弁慶。 なにかが寒い、と譲ら他の面々は思った。このいわくいいがたい二人の迫力は一体。 「わたしのことなら……へいきだから」 「腕に覚えがあると考えてもよろしいんですか?」 「…………うん」 うなずくまでのわずかな間は、 『ふふ、神子どの、強がりはいけないな。まあそこに座りなさい』 とにこやかにお説教モードの某少将を反射的に思い出してしまったためだった。違う違う、ここに彼はいない、とひそかにホッとするである。 「きみは戦える。その上で、我々源氏の戦力には数えるなと?」 さらに弁慶が尋ねる。 「うん」 「……では、敵にまわるおつもりですか?」 「ううん。源氏の味方にも敵にもならない」 だって別にそこまで思い入れはない、と先々代龍神の神子の答えは赤裸々だった。 源氏の参謀はやや黙り込む。 ……そうか、それはそうだな、と地味に心から納得していた。 「わたしは……に呼ばれたからここにいる。が戦場に出るなら出るし、出ないなら出ない。源氏とか平氏とか、そのへんのことは……まあ、どうでもいい」 あまりといえばあまりの言いように九郎あたりはあぜんとしたが、弁慶はそれもそうか、と深く頷いて理解を深めた。 言い分としては筋が通っている。むしろ、いささか正直すぎる…? そんな懸念がないでもないが、嘘をつくならばもっとまともな嘘をつくだろう。――今はそういうふうに考えておこう、と相づちの裏側で考える参謀である。そう、今は。 「ありがとうございます、さん。よくわかりました。色々と答えにくいことを尋ねてしまって申し訳ありません」 「……べつに」 はなやかに微笑んで如才なく礼を言う軍師に、無表情に目蓋を伏せる無愛想な神子。 ちなみに、今後においても弁慶は神子たちに探りを入れる筆頭で、主に窓口はが引き受けることになる。 このふたりが仲良くなったら超怖いよね! とのちに当代・白龍の神子がほがらかに語ったりもするが――それが実現する日がくるかどうかはともかくとして、とりあえず今日でないことは確かであった。 |