ちいさな、こわれやすいものが、上へ上へとのぼっていく。

 赤味がかったような液体の中に体をひたして、底に沈んで天を仰げば見えるもの。
 プラスチック製の水槽のふた、ぐるりと周囲をかこむ透明な特殊ゴムの水槽側面、そして循環の流れとともに上へあがっていく空気の泡。
 体温と等しく設定された生温かい液体をやさしいものだと思い、くるくると細かに動きながら弾けて消えていく泡をきれいなものだと思った。かろやかにすりぬけて手のうちに残らないそのことを、かなしいことだとすらも。

 それがこの世に生まれて初めて目にした光景。
 今となっては誰ひとり知らない、はじまりの記憶。



01.誰も知らない




 ――やった、今度こそ成功だ! おい、なにか話しかけてみろ!
 ――喜ぶのはまだ早い。正しく 『教育』 が反映されているかわからないだろう。
 ――データ上は脳波オールグリーン。生体反応良好。よし……聞こえるか、おまえ。

 初めて肉眼で確認する人間たちは、水槽の向こう側でせわしなくうごめいていた。
 五名。いずれも男性。アングロサクソン、ゲルマンの人種特徴を有する。肉体年齢40〜60歳代、すべて独立独歩。痩せ、および中肉中背。戦闘訓練を受けたことがない、もしくは日常的に行使していない。武器は携帯していないか、小型の銃器を携帯している可能性がある。

 結果からすれば、彼らのいう 『教育』 は成功していたのだ。
 誰に教えられずとも、おのれの喉から言葉を発するよりも先に、それらの特殊な判断をごく迅速に、たやすく行うことができた。
 ゆえに、固唾をのんで見守る質問者に軽くうなずいて見せることなど造作もない。

 そっと水槽のふちを足ががりに移動し、男たちの正面に向き直る。
 にこ、と笑いかけると、彼らはさらに驚きを見せた。
 笑顔――対象を油断をさせ、隙を誘うもの。
 会話――対象の思考に間接的に干渉し、情報をひきだすもの。

「こんにちは。あなたがたは、どなたですか?」

 一拍後、対象五名は泣きださんばかりに叫び、肩をたたきあい、顔をくしゃくしゃにゆがめて喜んだ。
 ひどく興奮し、うわずった声で宣告してくる。

 ――おめでとう! 君が108体目にして唯一の成功例だ。

 のちにヒクサクと呼ばれる彼は、そのようにしてこの世に生を受けた。









※笑うところです。


2010.11.14/はちみつ印。/ゆの