モリアの領主フンディンの息子バーリンの没した部屋。
 悲しみに棺の前にうずくまるギムリに、誰も声をかけることができなかった。
 それほどひどい有様だったのだ――廃墟になってしまったモリアに残る傷跡は。

 死者の抱えていた古びた本を手に、故バーリンの直筆とおぼしき文章を読み上げるの声が、地下の墓場に不気味に響き渡っていた。
 皆、不安と不穏な空気を感じてか、一行に緊張がただよっていた。






井戸落下とモリア







 は、プレッシャーから逃げるようにだんだんと後ずさるピピンの後ろに位置する井戸にちょこんと腰掛けて、ガンダルフたち一行を遠巻きに見ていた。
 無理もないかもしれないが――気負い過ぎの一人が気になった。

 エステル。
 もといアラゴルン。
 一見器用でそつがないように見えるが、は昔の、おそろしく不器用だった少年のころを知っている。
 また何か……背負わなくていい荷物をおのれに科している気がする。たとえば、悩まなくてもいいことに悩んでいたりとか。

「“闇の中でうごめく影……もう逃げ道はない。――奴らがくる”」

 じりじりと後退してきたピピンが、考え事をする少女と隣の遺骨に気が付く。彼は死体の隣に腰掛けることを気にもしないに驚きながらも呆れ、つん、と死体をつついた。

 それが色々と間違いだった。

 まず、つついた拍子にとれた首が井戸に落ちてガコーンと大きな音を立てた。
 振り返る一同とともに、近くで起こった出来事に驚く

 続いて首のあとを追って胴体が井戸に倒れ、連動して鎖がじゃらじゃらと流れ落ち短くなっていく。これ以上音を出してはならないと判断したが、思わずその鎖を握った。

 ずし、と手にかかる重みに踏ん張って耐え……ようとするが、予想外に鎖が重く、
 とどめとばかりに、ぐらついた重量級の鉄桶までが落下して、

「だっ……」

 だめだ、と言う暇もなく、自動的に少女の身体が引っ張られて――


 ――一緒に井戸に落ちた。


 数秒の短い間の出来事だった。






「……!!」

 一番最初にフロドとアラゴルンが同時に叫び、次にレゴラスが真っ先に井戸にかけよる。皆ひどく真っ青な顔色だったが、原因を作ったピピンなど今にも死にそうに見える。

 ガンダルフのつくった灯が井戸の中を照らしていくが、視界の範囲には暗い穴がのぞくのみ。いやがおうもなく絶望の波が押し寄せようとしていたとき、レゴラスがピクと反応した。

「声が聞こえる!」
「何!?」
か?」
「わからない……いや、そうだ。これは彼女の声だ。見えないけれど、下にいる!」

 レゴラスが「!」と呼びかけると、エルフの卓抜した聴覚に、はるか井戸の下から「はーいー」と反響した声が聞こえた。

「怪我は? 今どこにいるの!?」
「……そんなに怪我はしてないけどー、ちょっと体勢がつらーい。井戸の壁に短剣刺して、……そこに、ぶら下がってるか、ら……」
「待っていて、今ロープを下ろす」
「……いや、無理だ、ちょっと」
!?」
「そろそろ、限界だ。――落ち、る」
「何を……! あきらめるな、助ける! もう少し、がんばっていてくれ!」

 レゴラスの反応に、の声の聞こえない八人がおぼろげながら状況を察した。
 何とか落ちずにとどまっていたが、おそらくもう保ちそうにないのだ。

「---! 待て、あきらめるなどあなたらしくもない……!」

 アラゴルンが悲鳴のように叫んだ。
 フロドたちも同様のことを叫ぶが、彼らの耳に少女の声は聞こえない。
 自分達の声ばかりが反響して、少女の声はどこからも返ってこなかった。

 唯一聞きうるレゴラスに視線が集まった。

!」
「……そう皆で叫ばなくても……。私だって死ぬ気はないよ、ただ、ここにはもう、つかまっていられない。とうに指の感覚がないんだ」
「落ちたら死んでしまう……!」
「おや、悲観的だな? 死なないよ。君のお父上と酒を酌み交わす約束も残っていることだし……、第一こんなとこで死んだら、エルロンドに何を言われるか……」

 苦笑したような気配に決断の色が見えて、少女の本気を知った。

「――先に、行っていてくれ。なに、すぐに、追いつくよ……」

 途切れ途切れのその言葉を残して、それきり何の声もしなくなった。
 いくら耳の良いエルフとはいえこのような状態で声以下の、あまりに小さな音は聞き取れない。










 彼女との会話と聞こえた音を、固唾を呑んで見守っていた八人に話すと、今度こそ絶望が彼らを襲った。

「そんな……!」

 深い深い井戸。
 その下にはおそらくオークがひしめき合っている可能性が高い。
 ただでさえ難しい高さから、そんな敵の真っ只中に落とされて、無事でいるはずがない。

 ボロミアは歯を食いしばって首を振り、ガンダルフは悲しみに目を伏せた。
 誰もが少女のたどった最期を予想した。

「……いや、生きている」

 ただ一人、アラゴルンが何もない虚空を強く見据えて言った。

「あの人は生きている。死ぬつもりはないと、言ったのだから。」
「アラゴルン……しかし」
「あの人の身体が地面に叩きつけられる音を聞いたか?」
「――!」

 全員ハッとした。
 遺骨や鉄桶が地面に砕ける音は確かに聞こえたのに、何の音もしなかった。
 それは――あるいは、わずかな希望だった。

「私は、あの人の遺体を見るまでは絶望はしない。こんなことで死ぬような人ではないと、よく知っている」
「……そうだよ。僕も信じない。が死んだなんて」
「そうだよな……。ならそのうちひょっこり帰ってくるよ!」

 だからいつまでも落ち込むな、とメリーがピピンの背をばしっと叩く。 
 ホビットたちのへの信頼に、ボロミアやレゴラスたちが微笑む。

 ほんの少しの希望を信じてみようかという気になっていた。
 しかし間をおかず起こったオークの襲撃により、たちまち一行は混戦することになる。








 そのころ、一行とは一緒にはいない少女は途方にくれていた。
 短剣とテグスを使い、おそるべき身軽さで、何とか無事に、一応落ち着ける場所に着地できたはできたのだが。

 あいにくそこは崩れかかった出っ張りだった。

 もとは鉱物を引き上げるためのクレーンの部品置き場のようだっだが、今ではもう床面積も少なく、もろくなっている。
 さらに次の足場ははるか下であり、どうにかして行くには多少高度なアクロバティクが必要なようだ。ちなみに失敗するともれなくオークの住処。

「困ったなあ……」

 あんまり困っていない調子ではつぶやいた。

 額に手を当てて、意識を集中する。
 そこにはがもとの世界で宿した紋章がある。
 いつものことながらこの世界でのコントロールは難しそうだったが、使えないこともなさそうだ。本音をいうならあまり使いたくはないのだが(すごく疲れるから)、背に腹は変えられない。

「……いざとなったら、これだな」

 さて。
 とりあえず……落ちてきたんだから上をめざすか?
 アバウトに考えて、とうっと地を蹴った。




 合流するのはいつの日か。















+++++++++++++++++

…えーと、さんホントに人間ですか?(訊くんじゃありません)
いやあ、信じられない離れ業ですね!
当方、短剣とテグスを使ってあんなことが本気で可能かどうかは保障いたしませんので、
絶対にマネしないでくださいね☆(いや誰もしないから)