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運動によるエネルギー消費がいちじるしく低レベルな読書をしていても、習慣化された生理現象はちょっとやそっとでは止まらない。 黙々とページをめくる音だけが響く中、最初に沈黙を破ったのはの独り言だった。 「おなかへった…」 押し寄せる空腹感に口が勝手に正直な感想を述べた。 空目は紙面から顔を上げて、窓の外を見た。何となくもそれにならう。ミルク色の雲とオレンジ色の夕焼けをオードブルに洋風の町並みは香ばしい色に焼きあがっていた。どこか近くでカァカァとカラスが鳴いている。 次に口を開いたのは空目だった。 前髪からわずかに露出する彼の頬にあたたかな夕日が当たって、ミネストローネ色になっていた。髪の毛はデミグラスソースにも見える。 ああ食べてしまいたい…と彼女が本気で思ったかどうかはさだかではないが、何を催促したわけでもないのに彼はすべてを察したようだった。 「……何か食うか？」 は力いっぱい頷いた。 ９．魔女の予言 そしてテーブルに並べられた『食事』を見て、は思わずちゃぶ台をひっくり返したくなった。 しかしそもそもちゃぶ台でもなく人様のおうちの家財ということで遠慮がはたらき、何とか自制する。（落ち着け私…）と呪文のように心中で唱えまくる。空腹も手伝っていつもよりも我慢が効かない。 テーブルに鎮座するのはカロリーメイト一箱とミネラルウォーターのペットボトルだった。 それだけだった。 妙に納得できる献立といえば確かにそうだったが、まさか友人の家に泊まりにいってこんなものを堂々と出されたのは初体験である。 彼が学校に持参してくる昼食にカロリーメイトが頻繁に登場するのはも知っていた。だが自宅でも同じ食生活だとは思いもよらなかったのだ。 さすが変人空目、日常生活も一筋縄ではいかないらしい。 献立を一目見たとたん固まる友人に気づいて、空目が冷蔵庫から新しいものを取り出す。今度こそマトモな食品だろうかとパッと顔を向けたは、自分のその期待がいかに愚かだったかを思い知った。 彼が差し出したのはカルシウムとマグネシウムの錠剤だったのである。 まごうことなきサプリメントである。これが普通の料理とともに出されるならばともかく、カロリーメイトと水に付け加えられたとあってはロマンもへったくれもない。気分的には宇宙食と張る。プロテインが加わればまさしくボディービルダー。 うちひしがれるに対して空目は「これで必要な栄養素は充足できる」とでも言いたげに、少しも後ろ暗いところがない。そう、そもそも彼はロマンもへったくれもない人種なのだ。 おそらく冷蔵庫の中身はこれと似たような非ロマン物しか貯蔵されていないに違いない。 はがしっと空目の手首を取った。 無表情に「何だ？」と問いかける彼に提言する。 「買い物に行こう！ お金は私が出すから…！！」 むしろ懇願であった。 驚いたことに空目はいつもスーパーやコンビニエンスストアで買い物をしないらしい。 ならば、どのようにして食料やその他の生活用品をそろえているかとが訊くと、こともなげに「通信販売だ」と答えた。 彼いわく、買い物の時間と労力を考えると通販がもっとも無駄のない方法だと。 「一理あるけどさ、そんなことばっかりしてると体力虚弱になるよ？」 「だから、こうして今お前に付き合っているだろう」 「……それはどうもありがとう」 遠まわしに無駄を指摘された気がして、は平坦な調子でお礼を言った。それに空目は答えもせず、片眉を少しだけ持ち上げる。 買い物の帰り道のことである。 外国風の町並みは夜になると一層雰囲気を増す。薄暗い敷石を空目とはゆっくりと歩く。二人で半分ずつに分担して持つ袋には、タマネギ、ニンジン、ジャガイモ…いわゆるカレーの材料がおさめられている。 アンティーク調の街灯のまずしい灯りの中、ふとレシートを見返しながら勘定の確認をしたは「あっ」と声を上げた。しまったとつぶやく。 「どうした？」 「おつり少なくもらってきちゃった……。ごめん、先に行ってて」 「待っているから、荷物を置いていけ。その方が早い」 空目が先に帰宅したとしても、カロリーメイトで生活している少年一人でカレーの調理はいささか不安である。 彼らしい合理的な思考に笑いながら、店に向かってきびすを返した。 俊也と互角にもなるの足でほどなくスーパーが見えてくる。同じレジのおばちゃんから正しいつり銭をもらい、再び走ってきた道を駆け出した。 レンガ造りの塀が立ち並ぶ羽間を駆けて、ゆるく右折し、四辻に入る。しっかり記憶に叩き込んだ道で間違っていなければ――真っ直ぐ進んで次の角を左折し、少し歩くと空目の待っている地点のはずだった。 ところが、迷いなく走っていたの足がギクリと止まる。 意味もなく首の後ろがチリチリと騒いだ。 十字路、いわゆる四辻の真ん中に誰かがたたずんでいた。 この夜闇の中にたったひとりで、じっと立っているようだった。 人を待つならば交差点の中央である必要はないし、天体観測にしても不適当。交通からも暴漢からも第一危険だ。 そういう観点でひとまず不思議な人影である。 （誰？ ……女の子？） 曖昧だったシルエットが徐々にはっきりと露になる。 人影は、と同年代の少女だった。見知らぬ顔だ。 しかし、ばちっと思いっきり目が合ってしまってはあわてた。この上もなく視線がぶつかったのだ。こうなってはもう通行人として無言で通り過ぎるのは不自然である。 「……こ、こんばんわ？」 「こんばんは。今日はいい夜だね」 仕方なく挨拶すると、即座に笑顔で返された。友好的な声音。 いい夜だね、と同意を求められる形になったは、夜空を見て「……」無言になった。 曇っていた。しかも新月だった。 （……え、えーと……） 疑問に思いながら少女を見ると、彼女はにっこりと笑っていた。無垢な乳幼児に向けられるべきのような優しい表情。決して乳幼児でないは違和感に困った。 内心だらだらと冷や汗を流す。何なんだろうこの人は？ 何だか誰かに似ているような気がして、は首をひねる。この違和感といい唐突なあらわれ方といい、似かよった知り合いがいるような……。 しばし考えて、は目をみはった。 ――そう。そうだ。 この妙な雰囲気に独特の気配。彼に似ている。 「あの、失礼ですが……もしや、神野さんのお知り合いで？」 「よくわかったね。うん、彼とは友達だよ」 尋ねるもだが、にこやかに肯定する相手もつわものだった。 やはり少女は笑顔のままで。 そのそぐわない微笑みがに神野陰之を連想させたのだ。厳密には種類は違いそうだが、あきらかに共通したところがある。 つまりサイコさんパート３だ。（１と２は空目と神野） （……類は友を呼ぶ？） 転校してからこっち強烈な変人にばかり出会うのはそういうことなのだろうか。 は眩暈をこらえて額を押さえる。無性に今すぐまともな人間に…武巳と稜子に会いたいと思った。 交差点の真ん中にたたずむ少女は薄手のロングスカートとカーディガンで全身を真っ白にそろえている。空目や神野が黒づくめなら彼女は白づくめだった。どちらにしてもあまり一般では見られない格好である。 何がおかしいのか、少女は、ふふ、と笑い声をもらした。 愉快で愉快でたまらないという笑顔だった。 「あなたを待っていたの――“盲目の傍観者”」 もうもくのぼうかんしゃ？ は耳で拾った音から、脳内で漢字を当てはめる。盲目の傍観者。したり顔の少女には悪いが、さっぱり意味がわからなかった。 「ようやく会えたね。�牘討凌有瓩�いたら少しだけ面倒だから、タイミングに苦労したよ？」 「え……？」 「本当はもっと早くに会いたかったのに…。あなたの魂の形をつかむのに時間がかかっちゃった。とっても不思議な形をしているんだもの」 「た、魂のかたち？」 「そう、今までに一度も見たことがないくらい、不思議な形……」 笑顔の少女は、交差点の手前で立ち止まっているに向かって足を踏み出した。 一歩……、また一歩。 ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。少女は笑顔をくずさない。にはなぜか、それがとても恐ろしく思えた。 鼓動が早くなっていくのを自覚する。 ごく、と喉を鳴らした。怖い。 （怖い……？） 相手は自分と同年代の女の子だ。恐怖の対象になるには一般的でない。 しかし彼女が歩を進めるたび、靴の音が響くたび、逃げ出したい気持ちが強くなる。意思の力で制御しなければ、今にも足が勝手に後じさりを始めそうだった。 闇の中に浮かんでみえる白い服。白い顔に形づくられた満面の笑顔。 見てはならないものを見ている心地がした。 会ってはならない人に会ってしまったような――驚愕。 「驚いた？ そうだね、わたしもすごく驚いたよ」 白い少女がゆっくり近づいてくる。 縮める距離さえいとおしむように、そっと踵を進めてくる。 「……“盲目の傍観者”……。あなたみたいな人がいるんだね……」 親しみのこもった声がやさしく頬を撫でていく。 彼女が喋るたびに、彼女の声が染み込んだ夜の闇が彼女の周りに凝っていく気がした。闇を味方につけていく。その場を無理矢理に表現するならば、そんなふうに喩えられる。 それほどに少女独特の雰囲気が急激に増していっている。 真剣勝負の最中に感じるプレッシャーによく似ていた。否、それよりも数倍ひどい。 は苦労して恐怖心に目をつぶりながら、あなたは、と口を開いた。 声を震わせないように細心の注意をはらった。 「……あなたは、誰？」 たちこめる独特の空気の中では、その一言を尋ねるのにも大変な労力だった。 少女が初めて笑顔以外の表情を見せる。もっともすぐ「――驚いたな」と心の底から感心したふうの賛辞の笑顔に変わった。 同時にぴたりと少女の歩が止まる。 の立つ場所から数歩の距離を残して、彼女は軽く首をふってみせた。 「わたしはここまでしか進まない。これ以上進むと、多分こわれてしまうから。ねえ、どっちがこわれると思う？ あなたか、わたしか」 「……どちらも」 「すごい、強気だね。そういうの嫌いじゃないな」 くすくす笑う少女は、すうっとに向かって手を伸ばして、やはり途中でぴたりと止める。 パントマイムのように何もない空間をやさしく撫でた。 「これがあなたの領域……。だからあなたは傍観者。決してここから踏み出さない。だからあなたは盲目のまま」 「……何の謎かけ？」 「謎でも何でもないよ。わたしは見えるものを言葉にしているだけだもの」 「悪いけど、わけがわからないよ……」 「そうかもしれないね、今は。わたしも昔、そういう時期があったよ？」 くすくす。くすくすくす…… 少女の笑い声が反響して聞こえてくる。四方から彼女の気配が響く。 は眉をきつくしかめて、一度ぎゅっと目を閉じた。心の中でたっぷり３つ数えて、再び開く。ここ一番のはったりどころで動揺しないためのジンクスだったが、数年ぶりに思い出して頼った。 「名乗る気のない人には私も名乗らないよ。これでも急いでるから」 「……ふうん。わたし、やっぱりあなたみたいな人、好きだな」 「そう」 「うん、そう」 あきれたように少し肩をすくめながら、さっさと通り過ぎる。精神力を総動員してポーカーフェイスに心がけた。 距離を離すことによってか、少女独特の気配が少しずつ遠ざかっていく。いっそ走り出したくなるのをこらえて懸命に唇を引き絞った。 のその背中に、少女のにこやかな声がかかった。 「わたしは “魔女”……。またね、“盲目の傍観者”さん。次に会うのは学校かな？ そうそう、“影の人”によろしくね」 「え……？」 学校と聞いて、思わず振り返る。 同じくして、あの気配があっさりと姿を消した。そしての視界にも白い少女が見当たらない。どこに隠れている様子もなくなっていた。 数秒前まで確実にそこにいたはずの白い姿がどこにもない。 （……魔女……？） そんな馬鹿な、と思う。 神野陰之で多少免疫できているから取り乱すことはしないが、あまりにも常軌を逸している。信じがたい。変人の友人とはいえ、あまりにも……。 （盲目の傍観者なんて意味不明なことを言うし、それに影の人って） は立ち止まって考え込んだ。 影の人がいないときを見計らったようなことを言っていた。影の人によろしくとも。この二つを考慮に入れて、直感を混ぜながら見当をつけると―― 「…………」 答えに行き当たり、は今度こそ走り出した。夜の羽間の街を全力疾走する。急いで確かめなければ絶対に混乱して知恵熱が出るに違いない。 交差点を真っ直ぐ突っ切って、一番最初の角を左折する。 大股で駆けて数歩の距離に。 ぼんやりともる街灯の下に、黒づくめの人影。見知った顔。 同じ変人でも彼の方が何倍もマシだと思った。 「遅かったな」 「空目くん……」 全力疾走のあとに息を整えるを見て、ただならぬものを察したのか、空目は「何があった？」と鋭く尋ねた。無言で頷いたは、震える指で彼のシャツの端を握る。必死にこらえていた恐怖を思い出したのだ。 「“影の人”って、君のこと？」 「――何？」 「人のことを変なふうに呼ぶから、全然何が言いたいのかわからないし、ずっと意味もなく笑ってるし…。下手な痴漢よりよっぽどタチが悪かった。何もかもわかってるみたいな顔して、私を“盲目の傍観者”だなんて」 「、落ち着け」 「私が一人になるのを待ってたみたいだった。交差点で、ずっと…。交差点の真ん中で」 「！」 空目が動揺しているの耳もとに、渇を入れるように短く叫んだ。 びくっとは動きを止めて、目の前の空目の顔に視点を合わせた。ゆっくりと焦点が結ばれる。ようやく両腕を彼につかまれていると気がつく。 露出している二の腕から空目の体温がじわりと染みて、あっという間に我に返った。 は落ち着きをなくしていた自分を恥じて、「ごめん」と小さく詫びる。彼は取り立てて気にもせず、それより、と言をつむぐ。 「――“魔女”に、会ったのか」 的確な問いに驚きながら、首肯した。一方でやっぱり、という思いもあった。 空目はの腕から両手を離し、無言で考え込む。 「……知ってる人なんだね」 「ああ。俺たちの先輩にあたる人だ。多少の因縁がある」 「先輩？ ああ、それで…。事情は知らないけど、私に会いたかったって言ってた。次に会うのは学校だろうって」 「…………」 空目はの言葉を聞きながら、ひたすらにうつむいていた。こういうときの彼の頭脳はめまぐるしく回転していて、うかつに話しかけられない雰囲気をかもし出す。 は街灯の根元に鎮座していたカレーの材料を持ち上げて、しばらくは彼が顔を上げるのを待っていた。 すっかり落ち着きを取り戻して、いつものように彼の端正な顔を眺めていたりする。 「」 「うん？」 「話がある」 「……うん」 彼らしい端的な介入の言葉。 そうこなくっちゃ、とは笑った。もう、いつものように笑うことができた。 しばしば空目のする微妙な表情を真似て、片眉をわずかに持ち上げる。 「望むところだよ」 「現時点で――“魔女”はまだ、敵ではない」 四月から始まったという一連の事件を一通り話し終えた空目は、最後をそんな言葉で結んだ。疑問を挟まずに、じっと黙ったまま耳を傾けていたは「まだ、ね…」と揶揄って、彼の慎重な物言いに苦笑した。 「……まだ敵ではない、か。なるほど」 独り言のようにつぶやいた、それきり数分黙り込んだ。 相手が思考を整理していると見て取った空目も、無言を貫く。 「…………空目くん。あのさ、言っても仕方ないことなんだけど」 「ああ」 「もっと、早くに教えてほしかったな」 「仕方のないことだ」 「うん……」 はうつむいて、遠くを見るように視点をぼかした。彼が自分に打ち明けないことは何も不自然な傾向ではない。事件の性質と当事者の秘密を考えれば、むしろ口外しない選択肢のほうが正しい。そして空目という人間は決してそういうことを間違わない。 （……だから、あのとき） の転校初日。 らしくもなくわざわざ転校生を屋上に呼び出し、怪しい質問をふっかけたのだ。今のならば、その必要性が理解できる。大胆だがもっとも最短な方法だった。 彼はあの場で誓うことと引き換えに、が白か黒かを見極めた。 （警戒されていた） 正しい選択だった。だが、はひどくがっかりしている自分を見つけた。 あのときの彼には当然の判断であっても、信じてほしかった、と心のどこかで思っている。が彼の立場でも転校生を警戒した、それでも……。これが埒もないわがままなだと自覚していた。理屈ではない。 「――機関に怪異に魔女……。並べてみると、怪しい単語ばっかり」 魔女、十叶詠子。 正真正銘、学園に在籍する女子生徒。自称も他称も “魔女” であり、いわゆる霊感少女であるという。奇異な言動からか、様々にうさんくさいウワサに事欠かない謎の人物。 機関。通称を、黒服、あるいはエージェント。 正式名称は不明。人類の脅威たる 『怪異』 に対抗するための専門的な組織。 主な仕事としては、 『怪異』 の研究と、『怪異』 に巻き込まれやすい人間の選別、実際に起こった 『怪異』 関連事件の対処にあたる。 場合によっては、 『怪異』に接触しすぎてしまった事件関係者を “公共の福祉のため” として処分――極秘裏に殺すこともいとわない。 その絶大な権力、執行力の根拠については、やはり謎まみれの機関であるという。 そして、空目恭一。 幼少期、双子の弟とともに “神隠し” に遭遇し、行方不明となるも、のちに生還。弟の消息は今もって不明。このエピソード以後、 『怪異』 の属する異界になみなみならぬ興味を持ち、その気配を嗅覚において感知することができるようになる。 卓抜した知識と思考から 『怪異』 への高い対応能力を有し、現在はかの機関から協力を要請されることもあるとのこと―― ぽつりと、空目くん、と呼んだ。 無言で視線を向ける、黒い輪郭に微笑んだ。 「私は敵じゃないよ」 「…………」 「それを疑ってたんだよね。でも、私は違う。敵になんかならない」 「……今では、わかっている。転校してきてからこの数ヶ月の観察と考察の結果、お前は事件とは無関係だ。今後も敵対する可能性は低い」 「だから私に話さなかった、っていうのも君にとっては多分あるんだろうね。怪異の特質と機関の性格を考えると、…えーと、異障親和性だっけ？…の高いっぽい私に話すには、色々リスクを無視できないもんね。これからもずっと話す気はなかったんでしょ？ ――でも、君は考え直した。……“魔女”が私に直々にアプローチしてきたから」 カレーの大鍋をかきまぜながら、は少しだけ首をかしげた。 「当たってる？」 「……ああ、訂正はない」 空目は静かに息を吐いた。それが彼なりの表情の一つだった。 はもう何も言わずに、彼の言葉を待っている。湖畔のように凪いだ彼女の瞳。覚悟の決まっている者の目だった。 「。過去の傾向から見て、あの魔女が一個人の前に自発的にあらわれた場合、遠からず何らかの事件が起こる。これは十叶先輩が敵か味方かの判断には含まれない。俺の知る限りでは――確実だ」 「……うん、それで？」 「お前はこの先、おそらく、ほぼ必ず怪異に巻き込まれることになる。そうなれば機関が動く。連動して俺たちにとっても無関係ではなくなる。だから、当事者ともなりかねないお前に事情を説明する必要があった」 「うん、そうなんだろうと思った」 静かな声で同意したは「もう一回言っておくけど」と念を押した。 それを空目は無表情に聴く。 「私は、敵じゃないからね」 「わかっていると言った」 「ついでに言うなら、まったく役に立たないわけでもない」 「――」 の続ける言葉に察しがついた空目は、警告のために口を開く。しかし本人によって制されて、先のタイミングを奪われた。 “盲目の傍観者”はあっさりと宣言した。 「君を、手伝うよ」 どうせ巻き込まれるなら、このほうが建設的でしょ？ 空目は反対も反論もしなかった。ただ、十数秒ほどの沈黙のあと、一言、答えた。 「頼む」 うん、とは笑った。 彼に頼よられるのなんて初めてだと、くすぐったく思いながら。 皿に炊けたばかりの白米をよそり、彼に渡す。受け取った皿に、空目は冷静沈着に淡々と慣れない手つきでカレーをかけた。それにが横から手を出して、きざんでおいた真っ赤な福神漬けを隅に乗せる。 空目宅のリビングにはめずらしく、あたたかなカレーの香りが充満していた。 「よーし、完成！」 「だが、労力と時間を値段に換算すると、やはり不合理だ」 「ほらほら、いいから食べよう。せっかく作ったんだから」 いただきまーすと手を合わせる。 の見たところ、カレーは悪くない出来だった。明日までにはもっと味がまろやかになっていることだろう。 空目は無愛想に「咀嚼から嚥下までに時間がかかる」とコメントした。 |