……そう。『それ』は物心つく前から日常だった。 ふとした瞬間、視界のはしに見えるもの。 壁の向こうから呼びかける声。 肌の上をとおりすぎる感触。 ひどく不安定な『それ』は捕まえようとすると幻のように消えてしまう。 幼いには『それ』が奇妙で寂しいものに思えて、気になって仕方がなかった。 けれども知っていた。みんなは『それ』が見えないことを。 机の中の薄闇に、足元の影に、ときには瞼の裏にもあらわれるのに、自分以外は気付いていない。お母さんもお父さんも。誰も知らない。 いつしか彼女は『それ』のことを人に話さなくなった。 誰に言ってもわからない『不思議』を、自分ひとりだけで抱えようとしていた。 ――そんなときに、は、あの魔人に会ったのだ。 今から10年ほど前のことである。 23.再び、ともに その神社は古びた石階段をのぼった上に建っている。 狭い敷地に小さな社と社務所。足の下には玉砂利に花崗岩、植えられた樹木は桜だった。染井吉野よりも少し白い花びらをつける神社の桜を、はことのほか気に入っていた。冬に雪が降ったときは、まるで桜の花びらが散っていくようだと思ったことがある。 彼と出会ったのは、そんな日だった。 「わたし、。あなたは?」 「……神野陰之。君に正体を語る必要は――ないようだね」 音を吸収していく雪の中、少女と魔人は名を交わす。 奇妙な付き合いの始まりである。 かの万能の蛾は、そのころのの知る『彼ら』に似ているようで、まったく違ったものだった。 ――“夜闇の魔王”――。 いうなれば、彼は大前提である。異界に属する『彼ら』にとっての大いなる源。光あふれる世界の対極。混沌における始まりの指標。 さらに、彼はがひとり胸に秘めようとしていた『不思議』そのものでもあった。 誰にも言えない。誰も知らない。 にとって、彼の存在は一種の救いだったのだ。 誰に隠すべきことでも、彼にだけは隠さなくてもいいと……彼を見ればすぐにわかる。 その唯一の相手である彼は、何をも求めない存在だった。 恐れず、願わず、許さず、裁かず。そういった能動的な精神性は正真正銘の皆無で、夜に溶け、闇に凝る。本質としては虚無そのものなのだが、ただし人間の強い願望にのみ反応し、万能の働きをみせるようだった。 当時、やっと自分の名前が漢字で書けるようになったくらいの年頃のは、神野陰之に会うたびに 「これはものすごいことなんだ」 と思っていた。 人のかたちをした彼がまったくもって人ではないと充分に知っているからこそ、こうして何の用もなく自分とおしゃべりをしたり、隣に並んで座っていたりするのは 「ふつうじゃない」 と直感していた。 (おかしなひと……。めずらしいひと。わたしよりも、へんだわ) 少しも人間でないのに頭から爪先まで人間のかたちをして笑っている。 彼とよく似たものを知っていた。新月の闇だ。そんなものが人間であるはずがないのに、彼の人間のふりはの目からみれば実に見事だった。 透けてもいないし欠けてもいない、手足が多すぎたり少なすぎたりもしていない。日の光もへっちゃらで、場合によっては影を作ったりもする。話しかければ言葉を返すし、彼のほうから話しかけることもできるのだ。 もちろんには通用しないごまかしだが、少女はその芸の細かさに気がつくたびに感心した。今まで色々な『彼ら』を見てきたが、神野陰之ほど力にあふれるものはいなかった。何しろ “力” そのものと云ってもいいくらいだ。格が違う。 そんなすごい “力” が、なぜ呼べばそばに来てくれるのか、にはわからなかった。 よっぽど 「どうして?」 と尋ねてしまいたかったが、それにはとうてい勇気が足りない。 ――もしも訊いたことによって彼が会ってくれなくなってしまったら。 そう考えると恐ろしかった。 せっかく秘密を隠さなくてもいい相手を見つけたのに。彼が離れていってしまったら……。 は幼いなりに一生懸命に考えた。 抜群に高性能な“目”を持つ彼女にとって、それは慣れない方面の努力だった。それまでは考えるまでもなく『見えて』いることのほうが圧倒的に多かったからだ。 「……なるほど。君は <特異点> だね」 神野陰之は目を細め、噛み締めるように言う。 は意味がわからなくて首をかしげた。 「異界のどこかに必ず一つは存在する <特異点> では、すべての物語が方向性を変容する。特に不安定な異分子ならば輪郭から本質までも影響を受けるだろう。どうやら、君は非常に稀有な <特異点> の属性を有するようだ」 「とくいてん……」 「人間の世界ではブラックホールという者もある。異界のそれとは別物だがね」 は彼の外套の端をつかみ、せいいっぱい長身の男を見上げた。 神野陰之の言葉は難解すぎて、やはり彼女にはほとんど意味不明であったが、何しろこのころのは直感の塊のようなものだったので、すぐにこう切り返した。 「とくいてんだから? わたしは、とくいてんだから……みんなとちがうの?」 「その通り。世界にまぎれて変換を行う。それが <特異点> の性質だ。君がどれほど周囲と隔絶しようとも、その性質に変化はない。君が君であるかぎりは――」 肯定する神野陰之をはじっと見ていた。 見えるものをありのままに見ようとする目。 しかし、彼女は人間であるがゆえに心が存在する。心ゆえに解釈が生じる。それこそが <特異点> の変換なのだが、少女が自覚している様子はない。 「――こうして、そばにいる私にさえも影響を及ぼしている」 「えいきょう……。それって、いいこと? ……わるいこと?」 「本来、それを判断するように私はできていないが……そう、これも君の影響だろうね。あくまでも一時的な内部現象に過ぎないにしても、私にとっては久方ぶりの体験だ。……ああ、そう――悪くはない」 悪くは、ない。 小さな少女の前にたたずむ男は、最後の言葉をひとりごとのようにつぶやいた。思えば、それはどこか所在無さげな表情であった。 幼いはそんな神野陰之の言動を総合して、どうやら彼とこのまま問題なく仲良くできそうだということだけは理解していた。すっかり嬉しくなって、勢いで 「じゃあ」 と右手を突き出した。 「ともだちになってくれる?」 夜闇の魔王はきょとんとしたようだった。考えもしなかった言葉を告げられた人間の顔だ。神野陰之を知る他の人間が目撃したら、それは一体何の魂胆だと怪しむこと必至の、無防備な驚きの表情だった。 「――“友達”……かね」 「うん。……だめ?」 「少なくとも、前代未聞ではあるね」 「それって、よくないこと……?」 ほとんど泣きそうになりながらも、は引き下がらなかった。 その怯えと悲しみの感情が、人の望みに従う魔王へダイレクトに伝わる。同時に彼に知らされる、幼い少女の幼い親愛。魔術師の得意とする言葉ではなく、魔王を縛る一切の罠もなく、何の変哲もないただの好意に、神野陰之は目をみはる。相手が <特異点> でなければ、いっこうに説明のつかない、共感とも呼ぶべき現象だった。 本来、彼はこんなふうに胸をしめつけられるような思いを抱くようにできていない。よくないことかと不安そうに彼を見上げた少女に、ふと苦笑がこぼれるなど、本来ならば。 「……なるほど。そう、悪くはない」 直感的にぱあっと顔を輝かせたを見下ろして、神野陰之は先程からぐいと突き出されたままの小さな右手を 「これは?」 と尋ねた。少女はにこにこしながら 「あくしゅ!」 と答えた。彼女のつたない常識の中では、仲良くしようとする始めは握手をするものらしい。 いつもの調子を崩されたままそれを甘受する魔王は、ふむ、と頷いて右手を差し出す。 幼い少女のやわらかい手のひらと、体温のない大きな手が確かに重なった。 ――その季節を、今でも覚えている。 彼とは、ほんの一つの季節をともに過ごしただけだった。他愛のない話ばかりをして、たまに手をつないで、凍えるような冬の空気の中で、とにかく寒かったはずなのに、なぜか楽しかった。鼻や耳が真っ赤になってしまっても、ろくに気にならないくらいには、彼と一緒にいることのほうが大切だったのだ。 そして、あるとき、はぽろりと本音をもらした。 他の誰にも言えない、彼にだから打ち明けられた、秘密の願いだった。 「わたしね……、ほんとうは、みんなとおんなじ世界がみてみたい」 真っ白い雪がしんしんと降るなか、どこか泣くのを我慢したような声だった。 すぐそばにたたずむ黒衣の男はゆるやかに笑みを結ぶ。長い外套のすそをはらい、そんな彼を真摯に見上げる少女の前にひざまずいた。 「――それが君の望みならば」 うん、と小さな頭がかたく頷く。 世界を変換する <特異点> の属性を持つ少女の強い願いは、夜闇の魔王に聞き届けられた。万能の男はすべてを心得ていた。未来すら見透かすような無明の双眸を、彼女もまた誰よりも間違いなく理解していた。 真冬の寒い日、彼は彼女に約束をした。 彼女の目に映る世界を限定して、他の世界に目隠しを。 彼女を守るために防御領域を作り、必要のない力をそこに隠して。 「君の “願望” によって君の領域は構築されている。いつかその解除も、君の “願望” によってならば可能だろう。逆に、君が隠された力を強く望むようなことがなければ、決して領域が解除されることはない」 神野陰之は言った。 必要不可欠な鍵はの強い “願望” であり、残る最後の鍵は “目隠し” であると。 「この神野陰之が、始まりと終わりを見届ける。君の “願望” があるかぎり、必要に応じて警告し、助言しよう」 そうして彼に助けてもらう代わりに、も一つだけ、約束をした。 ――わたしにできることだったら、なんでもする。 ごく真面目に申し出たに、万能の魔王はくつくつと笑い、戯れのように告げた。 ――ならば、約束が果たされた以降は、再びともに。 すべての望みを叶える力を持ちながら自身の望みを持たない男は、少女のそばにいるときに味わう感覚をことのほか気に入っていた。そんなこととは理解しきれていないは、ずいぶん易しい願いごとだけど本当にそれだけでいいのか、と何度も確認することになる。 地面が真っ白に染まった中で、またね、と少女はうつむいた。 彼女の望みどおりのはずが、かたくなに笑顔を見せないように下を向く。 相対する神野陰之は誰よりもその気持ちを知っていたから、無言で笑みを形作って、輪郭を闇に溶かした。外套の端すら見えなくなると同時に、彼女との約束を行使して。 神社の境内に、ひとり、取り残されたは、いつの間にかコートの肩に積もっていた雪に気がついた。急に夢から覚めたように 「さむい」 と自分を抱きしめて、なぜこんな寒いところに一人でいたのだろうと不思議に思った。 しんと怖いくらいに静まり返った境内。 生き物の体温を奪って凍えていく空気。 そんな周りを見回したは、とたんにいいようのない不安にかられ、握りしめていた帽子をかぶりなおして、雪に足をとられながらも大急ぎの駆け足で自宅へと戻っていった。 毎日のように出かけていた神社へと、彼女がもう寒さをおして向かうことはなかった。 (そのまま、私は……都合よく部分的な記憶喪失になった) 今では、記憶ごと力を封じなければの属性は隠せなかったのだとわかる。情報を媒体に触手を伸ばす異界の性質から、そういう方法をとるしかなかった。知っているというだけで、覚えているというだけで、人の精神の輪郭は容易く変化していくものだから。 (……うーん、いい仕事してるね、陰之くん。こんなこと、きれいさっぱり忘れてたよ) 幼い自分は、確かにこれを望んだ。 あれほど大好きだった魔王との記憶を一時的にせよ手放してでも、皆と同じ世界を見てみたかった。そうすれば自分と皆の違いがわかって、ずっと皆に近づけるのだと考えたのだ。 『……これで、よかったの?』 気がつくと、なぜかは、雪の降り積もった神社の境内にいた。 そっと問いかけてきたのは、真っ白い帽子をかぶった、小さな女の子。いつだったか、夏のころ、夢に出てきた少女である。厚手のコートを着て手袋をはめた、正真正銘の冬支度だった。 対するは薄手のTシャツにストレッチパンツで、まったく季節感の釣り合わない格好をしていたが、少女の正体がわかっていたため、あまり動揺はしなかった。 「……そう。これでも良かったんだと思うよ。実際に自分で体験してみなきゃわからなかったことがたくさんあったから」 自分に言い聞かせるように独白して、それに、と付け加えた。 昔の自分が最も気がかりだったこと。 「また、陰之くんとも会えたしね」 この言葉を口にしたとたん、少女は笑ったようだった。 心から安心したふうに顔全体をほころばぜて。 どれほど彼が好きなのか、それだけで一目瞭然になる。 (……。……あれ? うわ、……こ、こんなに私って陰之くんのこと、好きだったんだ?) じんわり胸によみがえったあたたかさに、はいささかうろたえる。 子どもの単純な年頃だったことを考慮に入れても、それはかぎりなく最上級の好意だった。ふつう・好き・大好きの三段階に区別するとしたら、まず間違いなく大好きに値する。あえていうなら、大きくなったらお嫁さんになってあげるとでも言い出しかねないレベルだった。 (あ……相手は思いっきり人外なのに……。いや、確かにかなり顔はいいけど) 問いただそうと思ったら、白い帽子の少女はいつの間にか姿を消していた。 そりゃそうだとは今更に思い当たる。あれは過去のの執着が領域の解除とともに活性化されたようなもので、大元はなのである。本人がここにこうしている以上、本体のに吸収されたのだろう。 誰もいなくなった神社の境内を改めて見渡して、は少し顔を引きつらせた。 細かいことは横においておくとして、とても切迫した問題がある。 ――寒い。 (当たり前だよ、夏の格好してるんだよ私は……! 雪、雪が降ってるのに……!) 空目が『壁』の匂いだと称した約束の場景ではあるが、残暑の格好でまぎれこんでしまったにとっては、ほのかな感慨よりも切実にこの寒さをどうにかしてほしかった。 これは彼を呼ぶしかなかろうと思い立ち、あわてて四文字の名前を口にすると、ぐるりと目の前に闇が凝って出現した。整った容貌に長身の体躯。古めかしい丸眼鏡と虚無を映す双眸は、記憶にあるものと何一つ変わりはない。 あるいは 「久しぶり」 とでも挨拶をするべき状況であったかもしれないが、このときのの辞書にそんな言葉はなかった。 約10年前は多大な苦労をしなければ視線が合わないものだったが、小さな少女が成長した今となっては、が少し背伸びをして、彼が少し顔を下に向けるだけで、お互いの目が合う。 領域の中に能力の大半を隠していたの <特異点> の属性が、その瞬間、神野陰之にきわめてシンプルな欲求を伝える。彼はおや、とでもいうふうに片眉を持ち上げ、すぐさま身に着けていた外套の裾をばさりと広げた。 夜色の外套に身体を包まれるのに、は大人しくじっとしている。 なぜなら、子どものころにも体験したことがあるのだ。 不思議なことに彼の外套の防寒効果は昔から非常識なまでに万全だった。つまり、彼のテリトリー自体が一種の異空間ということなのだろうが、とにかく今は寒くないことが肝要である。 相変わらず、外套の中は熱くも寒くもない気温に保たれていた。風も雪も、すべてが切り離されている。外套の持ち主自身は、どうであろうと無関係なのだろうに。 ふいにこみあげたなつかしい感覚に、は無意識に唇を噛んだ。 昔の自分がこの魔王を大好きだったことは間違いない。少しの記憶が戻っただけで、こうも嬉しくなるのだから、相当なものだった。 忘れていた時間よりも、そのあとのほうがずっと長いのに。 どうして、こんなに。 今さらになって。 (こういうのは……ほんと、反則だと思うよ) 子どものころのやわらかな心が、彼を大好きだった。 今ではも、それを覚えているのだ。記憶が戻る前までは、単にわけのわからん怪しいやつとしか認識できなかったものを、もう、今はそれだけではない。 不意打ちのようなものだった。 彼の果たしてくれた役割と時間は、あるいは彼にとっては造作もないことかもしれないが、人間のにとっては困難で、そして10年ははるかに長い。彼のに対する意味不明だった言動の数々も、今となっては腑に落ちることばかりだった。 思い出した気持ちと、ようやく気がついた恩。 何も変わらず、約束を果たしてくれた彼。 ……これはちょっとくらい混乱したくもなる。 ちらりと彼女の真上あたりにある男の顔を見上げてみれば、彼はいつものように見透かしがたい微笑みを浮かべて、を見下ろしていた。 よみがえった彼女の知識と感覚に寄れば――彼に隠しごとをするのは無意味なのである。不可能ともいう。夜闇の魔王にとって人間の心中を読み取るのは造作もないことであって、すべての抵抗は紙屑に等しい。 呼吸するように人の心を読む男には、もちろん、このの葛藤などもつつぬけなのだろう。 よくもまあこんなの相手に全幅の好意を寄せていたものだと自身も呆れないでもないが、しかし、神野陰之という男は――時折、ふと人間くさい表情をする。昔は、特にそうだった。つい気持ちがそのまま面にあらわれてしまったような、無防備な顔をするときがある。小さなは、それを見るのがこの上もなく好きだったのだ。 ――わたしにできることだったら、なんでもする 思えば、とんでもないことを言った。 今は、あのころほど怖いもの知らずではない。 ――ならば、約束が果たされた以降は、再び…… 自らの望みを持たないはずの男が、<特異点> の彼女に初めて口にした願い。 戯れめかして、他愛のない望みを。 「陰之くんは……」 変わらぬ虚無を映した双眸を覗き込む。 「そんな簡単なお願いで良かったの?」 いつかと同じことを尋ねた。 神野陰之もまた、一言一句、違わなかった。 「私にとっては悪くはない」 ああ、この顔だ、とは内心で認めた。 たまに人間くさくなる夜闇の魔王は、今でもの胸を喜ばせる。 本当に反則だった。こんな整った顔の男になつかれたら、たたでさえ面食いに成長したが動揺せずにいられるはずがないのに。 (やばい……。なんかよくわかんないけど、やばい) なぜか、もう一人の魔王に今すぐ会いたいような会いたくないような心境だった。 そうして考えてみれば、『壁』の壊れたなりゆきでこんな異次元もどきに来てしまったが、現在の空目邸ではのっぴきならない事態になっているのかもしれないと思い出す。 (……も、もしかして私、あっちじゃ行方不明扱いされてるんじゃ) 先程とは違う意味で、早急に帰らなければと思った。 一説では『壁』、もとい防御領域が崩壊すると 「世界が変わったと感じるほどの」 衝撃があると聞いていたのだが、今のところそのような覚えもないことだし―― 「それは大きな誤解だね。君の領域が解除された影響は、君においては未だ完了していない」 思考を読んだようなタイミングで神野陰之が注釈を入れた。 まさしく思考を読むに近いことをやったのだろう。彼はの疑問を先回りして答えた。 「現在存在するこの空間は特殊なものだ。多くの人間の居住する次元でも、君たちのいうところの異界でもない。しかし、君の特性である <特異点> が強く関連するのは、主にその二つの概念世界だ。ゆえに、この空間で君の感覚にさほどの変化が生じなくとも矛盾はない」 「……え、えーと……。つまり……」 領域の壊れたことによる衝撃は、の特性に関連する世界で起こる。 それはおおむね現実の世界と、異界。 要するに、このままいくと、ものすごい衝撃らしい『そのとき』を味わうのは――。 「空目くんちに戻ったとたん……?」 世界が変わったと感じるほどの大いなる衝撃。 隠していた、守られていたものが、約10年ぶりにすべて目覚める。 は記憶をさぐって、その激変を想像してみた。子どものころに見えていたもの。目隠しをしていた間に見えていなかったもの。少しでも比較してみれば、その情報量は桁が違うとわかる。 数倍――ひょっとすると、十倍は。 (……ていうか、あれは。はっきりいって、見えすぎだった。色々と……無駄なくらい、かなり色々見えまくっていたような……) 幽霊だけでなく異界のものだけでなく。 問題は、すっかり五感による知覚に慣れきったが、それに耐えられるかという話である。正直なところ、に耐えられる自信はあまりなかった。下手をすれば発狂するというのに。 喉もと過ぎたと勘違いしていた危機はちっとも去っていなかった。 ピンチはこれからやってくる。 |