決闘は唐突であった。

「九郎さん……どうしても、やるんですか」
「むろんだ。女子にそうまで侮られて引くわけにはいかぬ!」
 
 当代・白龍の神子が困ったように後ずさり、間合いをおしはかる若き名代は決然と言い放つ。

 とある日の昼下がり、うららかな京邸の庭。
 リズヴァーンに剣をならった弟子同士の木刀対決は、そんなこんなで、やや強引にくりひろげられようとしていた。

 あらまあ…と、やわらかく苦笑したのは縁台に座るだった。
 すぐ隣には、取り込んだ洗濯物をたたみながらハラハラする景時、同じくお茶菓子の団子を皿にとりわけながらハラハラする譲、その余所見により今にもタレが皿からこぼれ落ちそうでハラハラすると朔である。

「九郎も筋金入りのいじっぱりね、戦闘での背にかばわれたくらいで。素直にありがとうとお礼を言えばいいものを、お前にかばわれる必要はない! なんて怒りだしちゃって」
「い、いや〜。でも、九郎の気持ちもわかるよ。いくら剣が使えるといっても、ちゃんはれっきとした女の子なんだし……」
「そうですよ……! 俺ですら最近ちょっと忘れそうになりますが、先輩はついこのあいだまで剣を持ったこともなかったはずなのに」
「私としてはそちらの事実のほうが少し信じられないくらいだけど……そうね、確かに譲どのの心配ももっともだと思うわ」

   彼らの面前では、ついにがスラリと木刀を抜き放ったところだった。
 体格では九郎に及ぶるべくもない彼女だが、ひとたび柄を持ち直した瞬間――深く澄んだ覇気がしずかに全身をつつむ。

(みんな意外と気づかないものね。場数も実力も、いまやのほうがはるかに上なのに)
(……しかたありませんよ。特に譲さんは元の世界からの幼馴染だということですし)

 当代の神子の事情に精通した二人が、のんびりとみたらし団子をつまむ。
(ああっ、ずるい二人とも! あたしのお団子…!) 美味の気配を察知したが、九郎の太刀筋をアッサリかわしながらホットラインで盛大に嘆いた。
 白龍の神子たち同士で便利に使われているホットラインは、生身の声の届く距離ならば、実際に声をはりあげるよりもクリアに相手の耳に届く。

「…………」

 ――昼寝中だったはずのがむくりと身を起こしたのは、そのときだった。




 星を




 それは例によって例のごとく何となく日差しよけにされていたリズヴァーンも、そばで同じように丸くなっていた白龍もきょとんとするほどの唐突さだった。

(……さん?)
(曲者。ひとり。木の上)
(え?)

 団子の串を手にが不思議そうに首をかしげるが、さすがにの反応はすばやかった。すぐに事態を察知し、八葉ら他の面々がいまだ誰一人として気がついていないことを確認の上、するどくに尋ねる。

(ふぁいてはふぇえけ?)
さん。さん。まずお団子を食べ終わってからで
(おっと、うっかりしてたわ。大丈夫、よく考えたら思考の声は団子に関係ないわよね。――それで、相手は平家なの?)

 しきりなおし、キリッと古代の神子は再び尋ねた。
 王族直系らしくホットラインの音声だけは冴え冴えと澄んでいたが、生身の両頬は依然として団子を味わい、両手は決して竹串をつかんで離さない。

(平家……じゃない) こまかいことは何一つ気にしないの返答はシンプルだった。
 瞼をふせて、なにごとかを追加で感知の上、ぽつりとつぶやく。

「たぶん、八葉」

 その言葉を聞きつけた周囲の面々は、もちろん事態がわからず、結果として出遅れた。
 事態がわかっていたもまた、やや離れた場所に座していたがゆえに同じく出遅れ、団子や九郎を相手どっていたも同様であった。

「――くぁくふょよ!」 (――確保よ!)

 発声と同時にホットライン併用という地味な小技が開拓された瞬間。
 小さな了解とともに、の右手がひらっと動いた。

 あっ、と声をあげたのは白龍だった。
 突如として空中にあらわれた牛一頭ぶんほどの水の塊が、神子の無言の仕草にしたがい――とある庭木の上で、ふいに我に返ったように重力を思い出す。

 それは、音もなく枝上の不審人物を直撃した。

「…………っ!!」

 かろうじて着地の体勢をとることができた人影が、ひどくせっぱつまったすばやさで地面に両膝をつく。間一髪、たくみに衝撃を殺しきった証拠として、着地の音は最低限だった。
 しかし――そこまでだった。

「……待って。ここにいて」

 ずぶぬれの人物の肩に手を置き、が告げる。

「あなたが敵でないことはわかってる。わたしもあなたを敵だとは思ってない」
「……さて。どうしようかな。いとけない花のかんばせで男を油断させ、またたくまに仕留めるような手ごわい姫神子様だからね……」
「ううん。あなたの神子はわたしじゃなくて

 そのはというと――源氏の大将とはげしい剣の応酬のただなかである。
 ひらりひらりと九郎の太刀筋をよけながら、「…あれっ、ヒノエくんだ?」 やっほーとばかりに目線であいさつ。

「はじめまして! 春日、です! ちょっと今は、取り込み中なので! 少々っ、お待ち、ください! ちゃん、ごめんあとよろしく!」
「集中しろ……! ずいぶんな余裕だな!」
「余裕なんて……っ、九郎さん今の怖かった! えーい、おかえし!」
「……っ! おのれ!」

 わあわあと白熱するハイレベルな剣戟は、当代白龍の神子の日常といってさしつかえない。
 どさくさまぎれにあとをよろしくされたは、しかたなく当代神子をぽかんと見つめる少年に向き直った。いつの間にか彼女の手はガッシリとヒノエの衣服をわしづかみである。

「ヒノエ、あなたはの助けになることができる。はあのとおりハンパなく強いけど、それでも八葉の協力がないと引っくり返せる運命も引っくり返せない」
「八葉? ……おい、それってまさか」
「うん。ヒノエも八葉、天の朱雀」

 のそばからヒノエをじっと見上げた白龍も、うん、そうだよと太鼓判を押した。少し離れたポジショニングのリズヴァーンもまた、うむと深く頷いてみせる。

 いささか渋い顔で 「それ、ちょっとまずいかな…」 とつぶやいた彼に、がなおも距離をつめた。
 神子たちは知っている。
 このヒノエが中立勢力・熊野水軍をたばねる若き頭領だということを。
 の願う未来のためには、遅かれ早かれ味方側に引き入れなければならないということを。

(……でも八葉の直接の勧誘はがやったほうがいいような気がする)
(同感だけれど、が九郎を上手にしばき倒すにはもう少し時間がかかりそうよ。本当ならアッサリ片のつくところを、ケガさせないよーに手加減を悟られないよーに実力が拮抗してるフリして戦ってるんだから)
(そうですね……。あんまり龍神の神子が強すぎて鎌倉の耳に入ってしまっても、あとあと厄介なことになるかもしれません……)
(……まあ、がそこまで計算して九郎と遊んでるのかどうかは謎っていうか、十中八九本能でしょうけど。――というわけでよろしくね、
(……わたし?)
がいちばん適役よ、ヒノエみたいに頭が良くて口のまわる事情持ちの軟派タイプはね。私だったら尻尾のつかみあいになって話が面倒くさくなるし、なんて……目に見えてるでしょう、ケムにまかれてラチがあかないわ)
(……ケムにまか……た、たしかに)
(…………)

 白龍の神子OGの作戦会議は、実際にはほんの数秒だった。

 沈黙のうち、なりに考えた。
 要するに、ヒノエが八葉になってくれればいいのだ。お忍びで京をおとずれている熊野別当を、一時的にせよ味方にひきずりこむ。彼のややこしい立場を知らぬふりで、しれっと。

 ――かつて、の八葉である一人の男はこう言った。
 やれやれ。我らが神子どのは存外、男を御する法を心得ておいでだ。

「……ヒノエ、お願い。力をかして」

 いついかなるときもはやはり直球だった。
 心に浮かんだ言葉に願いをこめて、ずばり頼み込む。

「いっしょにいてほしい」

 の双眸がしずかに輝き、ヒノエは息をのんだ。
 白い貌にこれといった表情はないが、その瞳は能弁だった。偽りも誤魔化しもなく、そのままの意味でヒノエを求めている。 「…まいったな、言霊ってやつか? こんな情熱的な口説き文句を袖にしたら男がすたるってもんだ」 若き別当は苦笑した。

「……いいだろう。姫神子様のお守り役なんて身にあまる光栄だね」
「ありがとう。でもヒノエの神子はだから」

 神子どのの清雅な瞳と飾らない言葉で “お願い” されてしまったら、大抵の男はそれなりに心を動かされるだろうね……この私ですら危ないかもしれないなフフフなどとのたまわった某少将の言は結果的に正しかった。
 早業もののミッションコンプリートである。

さん、お見事……!)
(さすが力技担当ね)

 ふふっと微笑んだは、「ね、だから大丈夫だと言ったでしょう」 と隣の兄妹を振り返った。なりゆきを見守るようストップをかけていた襟首を離すと、梶原邸主人が困ったように眉尻を下げる。

「いきなりちゃんが叫んだときは、ホントに何事かと思ったけど……まさか侵入者が八葉だったとはね〜……」
「白龍いわく、神子と八葉はひかれあうもの、よ。出会うのは必然だわ」
「ああ、そうだねー、それは確かに聞いたことあるよ。……なんにせよ、みんなもちゃんも無事でよかった。あの水は彼女の力なのかい?」
「属性の具現化よ、は水の気だから。もっとも、あんな応用を片手間にできるのはくらいのものなんだけど」

 へえ、と感心したように声をもらしたのは景時だけではなかった。
 いつしか白湯の茶瓶を持ってあらわれた弁慶が、「興味深いお話ですね」 とひどくやさしげに微笑んでいる。

「ずっと不思議ではあったんです。武器を持たないさんが “戦える” と断言する理由が。……こんなふうに桁違いに水属性を操ることができるのなら、ぼくの心配も杞憂だったということになるのかな」

 頭が良くて口のまわる事情持ちの軟派タイプ――
 そういえば弁慶もこのタイプだったっけ、とは内心でごちた。そして再確認する。やっぱりこの手の人間はめんどうくさい、と。こんなめんどくさいやつのめんどうをみるのは眼帯軍師だけで充分だ。

「……ですって、。弁慶が心配していたそうよ?」

 はにこやかに話の矛先を変えた。
 おそらく当代白龍の神子に引き会わせようとしてだろう、新入り八葉の衣服を引っぱってつれてきたは、「……弁慶が?」 ぱちくりと目を瞬いた。
 同行のヒノエもまた、「……げっ」 と弁慶相手に眉をひそめる。

「なんであんたがいるんだよ……まさかあんたも八葉だっていうんじゃないだろうな?」
「君には残念ながら、そのまさかですよ、ヒノエ。ぼくもまさか君が八葉だなんて思いもよりませんでしたが……しかも、さんにつかまるだなんてね。ふふ、水もしたたる…というところかな」

 知る人ぞ知るほほえましい叔父と甥の応酬には頓着せず、は 「あ」 と声をあげた。
 弁慶の台詞ではじめて気がついたというふうに、徹頭徹尾ぬれねずみのヒノエを見上げ、めずらしくあわてたように両手をかざす。

「ごめん、かわかすの忘れてた」

 忘れてたという言葉を言い終えるころには、ヒノエの全身は急激にかわきはじめていた。
 しかし、がかすかに眉根を寄せると、その現象もぴたりと止まる。

「……まだ服はしっとりしてると思うけど、これ以上はかえって体によくないから」
「へえ……! 姫神子様のお力はまだまだ奥が深そうだ。もちろん、これだけかわけば充分さ。……それよりも、この身にあまる光栄だね……心配してくれたのかい?」
「ヒノエはの八葉だから」
「ふうん、つれないね……。かわいらしい照れ隠しでもなさそうだ。いいさ、一筋縄でいかないくらいがちょうどいい。並の姫君よりもおもしろそうだ」
「気持ちはたいへんよくわかりますが、そのくらいにしておきなさいヒノエ。ほら、君の悪い癖ですね。さんが困ってしまっているでしょう?」
「…………」

 なすすべもなく話題にあがったは、はて、と首をかしげた。
 いつもどおりの落ち着いた声音で 「べつに困ってはいないけど」 とつぶやく。

「ふたりは……よく似てるね」

 え、と目をみはったのは周囲の面々も同じだった。

「きれいな気配と、誇り高い目が。そっくり」

 いつくしむように。
 まぶしいものを見るように目を細めて、やさしくは微笑んだ。

 誰が聞いても嘘偽りのない本音だとわかる率直な言いように、景時らはぽかんとし、経験者の朔は苦笑し、は何とも言えずに顔を見合わせた。

(……ほら、ね、。私の言ったとおりでしょう? この手のタイプにはが一番話が早い)
(……ほんとうですね……。どちらも対応に配慮が必要なむずかしい方たちなのに、さんはこんなに短い言葉で)
(……まあ、もそこらへん本能でやってそうよね)
(…………)

 どちらかというと理性派な神子二人はやや押し黙った。
 常日頃から美辞麗句を駆使する軍師と別当がのふいうちに声をなくし、らしくもなく鮮やかに頬を染めた瞬間を目撃してしまったのでは――適材適所のほどはあきらかだ。

 ――とりあえずは朱雀担当で。

 こうして当人のあずかり知らぬところで、蛇足な方針は暗黙の了解のうちに決定された。

 ややあってのち、上手に源氏の大将をしばき倒した当代・白龍の神子のきわめてフレンドリーな対応により、改めて八葉の面々にお忍びの熊野別当が加わることとなるが、いずれにしても適材適所の骨子が変更されることはついぞなかった。











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いわゆる二章のエピソードをさらおうと思ったら
ふつーに一話では終わりませんでした……(そりゃあな)

うっかりつづきます。
(2009.6.30)