その夜も、また同じ夢を見た。 いっしょにいこう、いっしょにあそぼう、とゲームセンターのなつかしの某マシンのようにしつこく誘い続ける少年。 いやいや行きません遊びません、ジャンケンもやらないし太鼓も叩かないしゾンビも別に倒したくないしついでに昇竜拳もパワーゲイザーも出しません、と心の中でつっこみつつも無視を続ける。 事態は一方通行に停滞したまま朝を向かえ、やはりはまったく寝た気がしなかった。 そして起きれば起きたで少年のことよりも、昨日の神野の忠告が気になる。 ――目隠しの物語に自ら関わってはならない。 あの男はそう言っていたが、そもそも目隠しの物語とは何のことだ。 (どうせ忠告するなら、そこらへんをもうちょっと詳しく教えようよ陰之くん……) 謎のキーワード『目隠しの物語』。 はっきりいって謎である。 は見たことも聞いたこともなかった。 ところがそのヒントは身近にあっさりと転がっていた。夢にあらわれる少年の情報とともに。 「……“ 目隠しをした男の子 ”?」 「ああ。日下部以外、例の“ そうじさま ”の儀式に参加した人間は、夢で奇妙に目隠しをした子供を見たらしい。付け加えて近藤は、雪村月子の転落時にも目撃したと言っている」 いつもの部室で、空目から昨日の『機関』による召集の話に、それは出てきた。 そう、つまりすべては“ そうじさま ”とつながっていたのである。 20.協力しきれぬ協力者 正体不明だった『目隠しの物語』が“ そうじさま ”と同じものだとすれば。 神野陰之いわく――はそれに関わったが最後『壁』が壊れることになるらしい。 今まで知らないうちに身を守ってきてくれていたという『壁』が壊れる、と。 なるべくそれはごめんこうむりたいと思うである。 確かにこの『壁』もいい加減わけのわからんシロモノだが、いや、わけのわからんシロモノだからこそ――壊れる、というのは歓迎できない。 それこそ何が起こるかわからんではないか。 「……そんなわけだからみんな。ごめん。今までもほっとんど協力できてなかったけど今回はぜんぜんまったく協力できないっぽい」 が拝むポーズを作ってみせると、文芸部の面々はそれぞれ個性的なリアクションをした。 空目は思慮深く考えているんだか考えていないんだかの表情で「わかった」とだけ言って無言を貫き、俊也と亜紀の二人が「釈然としないが、そういうことなら仕方ないだろう」という一応の理解を見せ、稜子が友に降りかかりそうな災難の気配を実感しきれずに驚き、武巳は神野陰之という男を思い出してか、やや顔色が悪かった。 「神野陰之、か……。十叶先輩とつながりのある男だったね。こうなるとあんたに対する魔女の関わりも考えておいたほうがいいのかもしれない」 「いや、木戸野さん。少なくとも私についてだけはそれはないと思う。……たぶん」 「たぶん? 根拠はないの?」 「えーと…、ごめん。説明できない根拠ならある感じ」 木戸野亜紀はこういう不明確な根拠は気に入らないだろうと予想して、最初にごめんと謝ってから正直な意見を述べただったが、案の定、一瞬だけかすかに不愉快そうな表情を隠しきれなかった彼女に、内心で(ああ、しまった…やっぱりか…)と反省した。 筋金入りの面食いであるからして、美少女の顔が歪むのは切ない。 これからは彼女に対してなるべく下手なことは言うまいと思うである。 ともかく、と気を取り直しては面々に言った。 「関わるな、っていうのが具体的にどこまでが良くてどこまでが駄目なのか知らないけど、なるべく近づかないようにするつもり」 「――念のため、これ以上俺たちの話も聞かないほうがいいだろうな?」 「そうだね。そのほうがいいかも」 そもそもこの集まりは例の『機関』に呼び出された昨日のことについての話し合いだった。 空目の言外の促しに気がついて、は席を立つ。 未知の問題を抱える友人たちに協力できないばかりか、その情報の共有すらできない現状には一抹の寂しさも感じるが、自分から言い出した以上これは仕方のないことだった。 しかし、そのまま部室を出て行こうとするの背中を、空目が呼び止めた。 「助けが必要だと判断したときには連絡しろ」 「――…そっちもね」 「ああ」 短く、そっけない、何ということもない会話。 それでもは少しだけ笑って、部室のドアを閉めることができた。 部活棟の階段を下り、校舎への渡り廊下をしばらく歩き、はじゅうぶん文芸部の部室から離れたところで立ち止まって、おもむろに前後左右を見回した。 周囲に誰もいないことを確認してから、ため息とともに彼の名を呼んだ。 「……これでも出てこなかったらどうしてくれよう、神野陰之」 すると、目の前に影があらわれた。最初は不明瞭なそれは、みるみるうちに輪郭を伸ばし、あっという間に人の形になる。真っ黒な外套に長い髪、白い貌。笑みの浮かぶ鼻梁にかけられた丸眼鏡のレンズが、きらりと鈍く光った。 「呼んだかね?」 「何度もね。さて、そろそろ説明してくれるかな。何で私が“そうじさま”に関わるとマズいのか」 「それは事実とは違う」 黒衣の男はゆっくりと頭を振って、否定した。 「正しくは、『目隠しの物語』に触れると君の領域が崩れる、だ」 相変わらず回りくどい言い方をする、とは思った。 抽象的で端的。すべてを知っている上で出し惜しみをしているようにも聞こえる。 …だが、多分、この男はそういうことはしない。わかりにくい答えを返されるということは、こちらの訊き方が悪いのだ。またはこちらに真実を与えられるだけの資格がないと見なされたか。 (そもそも、エロ之くんをフツーの人間と同じように思っていたら馬鹿を見るわけよ) このサイコさんパート3は、ヒトのかたちをしていても、おそらく“違う”のだ。 かといって、幽霊とか怪異とか、そういうものでもない。 もっと、貴重で珍妙なもの、だ。 は少し考えて、訊き方を変えた。 「……目隠しの物語は、そうじさまとイコールではない?」 「そうとも言えるし、そうでないとも言える」 ふむ。はまたも少し考えてから質問した。 「つまり、共通性があるっていう意味? AはBの一部だけどB全部がAではない、みたいな。そうじさまは目隠しの物語のうちに入るけど、そうじさまだけが目隠しの物語なわけじゃない?」 神野陰之の笑みが深くなる。それが答えだった。 は「マジですか…」と頭を抱えた。 それが真実なら、そうじさまにだけ気をつけていても足元をすくわれる可能性がある。 (……えーと。整理しよう。要は、そうじさまじゃなくてそうじさまに含まれる目隠しの物語の部分が私にとってマズイのであって、それを避けるには、まず……そう、はっきり目隠しの物語の部分が私にもわかれば、ぐっとやりやすくなるわけで……) 「だーかーらー…。目隠しの物語って何? そんなに大変なものなの?」 「そうとも、少なくとも君にとってはね……。大変な影響力があるだろう。あえて表現するならば、世界が変わったと感じるほどに」 「せっ……世界?」 壁だとか領域だとか呼ばれたものが壊れると――それほどの衝撃なのだという。 はさすがに想像力の限界を感じて、あっさりサジを投げた。とにかく、目隠しの物語と少しでも仲良くするとモノスゴイことになるのだけはよくわかった。 (謎だ、謎すぎるよ私……。おかしいな、それなりにまともに生きてきたはずなのに) ああ、それなのに。ナニがいけなかったのか。 転校してからこっち、色々と謎ばかりが発掘されまくっているような。 …そろそろグレたくなってきた。 ミステリアスで済まされる域を超えているような気がするおのれの事情は一時的に忘却して、はふと神野に顔を向けた。 実はさっきから気になっていたことがあったのだ。 「どうしたの?」 「何がかね」 「うん、なんだかめずらしく親切だから。いつもよりもずっとはぐらかさないで教えてくれたし」 微妙に失礼な指摘だったが、黒衣の男は口元に笑みを浮かべたまま、気にした様子もない。 この男は、思えば最初からこうだった。 がどういう言動をとっても、たいてい笑っている。何がそんなに面白いのかという顔で。 底の知れない泰然さで、ときにはつっこみ待ちかというような非常識な言動をして、呼べば意外と気軽にあらわれる。はそんな神野陰之しか知らなかったから、他の人間相手でもそうなのだろうと思っていたら、村神と武巳に「あれはそんなに気安いものじゃない!」ときっぱり否定された。 「わたしはヒトの望みを叶える者。名づけられし暗黒。ありとあらゆる魔術の化身。万能の蛾。この身はとうにヒトのものではないが、ゆえに――ヒトに引きずられることもある。ごくまれに、甚大な影響力を持つ…君のような人間にね」 「……私?」 「わたしにはすべての願望を叶える力があるが、わたし自身には一つの願望もない。わたしにとって人間の持つ願望は光のようなものなのだよ。蛾はもっとも強い光に引き寄せられる。――たとえ、我が身を焼くことになろうとも」 神野陰之は闇に解けいるような目の色をしていた。 は内心「またコイツはわけのわからんことを言い出して…」と呆れていたが、ただ一つ、彼が見たことのない表情をしていたのが気になった。 めずらしく親切で、めずらしくパリエーションの違う笑み。 その理由を、彼は一言で告げた。 「約束をしたからね」 は驚きに目を丸くした。 約束。約束と言った。 (契約ならまだありそうだけど……約束?) ずいぶん人間的な行為だ。言っては何だが、目の前の自称蛾には…かなり似合わない。 思わず「誰と?」と尋ねる。彼は答えなかった。 「わかんないな……。その誰かと約束したから、今、めったになく親切なの?」 「それについて、わたしが語れることは多くはない。知りたいという君の願望が、わたしの記憶している相手の願望を上回らない限り」 「資格がないと駄目って?」 「そのとおり」 暗鬱に笑う男に、はやれやれと肩をすくめる。 話が通じるんだか通じないんだかわからない相手だった。 神出鬼没、正体不明、迫力満点。 妙な存在に対してやたらと免疫のある自分でなかったらば、とっくの昔に恐慌状態に陥っても不思議ではない。 ――ていうかちょっと慣れてきている自分がコワイ…。はこっそり両腕をさすった。 秘密の『約束』とやらで親切モードに突入している彼は、消え際にこう言い残した。 「君はいわば誘蛾灯だ。存在が不安定なものにとっては触れずにいられぬもの。君が応えようが応えまいが、近づきすぎたものは焼き切れるか、あるいは――否応なしに変容するだろう」 「は……っ?」 「留意したまえ。存在の否認も認識のうちだ。否定という方法で相手に対応していることになる。本来の肯定と比べればどれほど不足していようと、君の意識に入ったというだけで、それは“あれ”に影響を及ぼす」 「――待って、もしかして、それって……」 はっとして呼びかけようとしたときには、すでに夜色の外套の先端すら見当たらなかった。 彼は、確かに親切モードだったらしい。最後の言葉は、あきらかに助言だった。 だがしかし。しかしだ。 (どうせ言ってくれるなら、なんでもっとわかりやすく言わないかな…!) 今回はまだ何とか半分くらい理解できたからいいようなものの。 ついでに贅沢をいうなら、その後の具体的な対処法まで教えてくれると文句なしだったのに。 こうなったら今度とことん彼と話し合ってみようかと思う。議題は『親切について』。 ……やっぱり止めよう。きっと自分が疲れて終わるだけだ。 しかし、いまいち頼りにしきれないそんな協力者の言葉を、本当の意味でがまざまざと思い知らされるのは、意外にもそれから一両日中のことだった。 その夜も、やはり少年の夢を見た。 いっしょにいこう、いっしょにあそぼう、と声のみでしつこく誘ってくるところは変化ないが、はとある事実に気がついて愕然となった。 冷や汗が背中をつたったような心地がする。 (……せ、成長して、る……!?) 声が。発音が。 気がついてしまえば確かに、当初よりも大人びてきている。 幼稚園か小学校低学年くらいだったように記憶していたそれが、いつの間にか――小学校高学年ほどの響きに変わっていた。声の甲高さと発音の稚拙さが薄れ、性別の違いがどうにか判別できるようになるころの、少年の声音。 まずい、とは焦燥感でいっぱいになった。 なんでもっと早くに気がつかなかったのだろう。 これはまずい。まずいのだ。 ただでさえ強烈な干渉力を発揮してくれる相手だというのに、これでは。 ――ねえ、ねえ ――いっしょにいこう、おねえさん…… 甘えるような少年の声。 ぐらつきそうになる心を必死にこらえて、何とかは羊を数え始めた。 羊が1匹、羊が2匹、3匹、4匹、5、6、7、8、9、10、11…… 超高速で羊の数が増えていく。ハイペースはそのまま心の動揺のあらわれだった。 『存在の否認も認識のうちだ』 『君の意識に入ったというだけで、それは“あれ”に影響を及ぼす』 神野陰之の言葉が思い出される。あれは、つまりこういうことだったらしい。 それにしたって、まさか少年が成長するなどと考えもしなかった。 ――むかえにいくから、いっしょにあそぼう ――ねえ、おねえさん…… ううっ、と胸のうちでは涙をのんだ。 絶対にこれに応えては駄目だ。駄目ったら駄目なのだ。 ああ、それなのに、それなのに。 (……う…うわーんっ、将来有望ーっっ!!) 声だけじゃなくて顔! 顔が見たい……! でも振り返ったら駄目なのに振り返らなきゃ見られないー! 正体不明の声だけ少年対シカト戦法の。 舞台は夢の中。根負けしたほうが負け。 哀れ、面食いの性―― 勝てる自信がさっぱりなくなってきたであった。 |